スペイン・マドリッド出身のニルダ・フェルナンデスのニュー・アルバム。タイトルは「僕のオマージュ」。何に対するオマージュだろうか。曲目を見ればなるほどとうなずける。1960年代・70年代のシャンソン・フランセーズ、ポップスに捧げられたものだ。
アメリカ・インディアンとの出会いから生まれた名作アルバム「イヌ・ニカム」(彼らの言葉で「人間は歌う」という意味)で、ニルダはこう歌った。「すべての人間の類似性を語るために、僕は道を続ける」。次に発表されたアルバム「カステラール704」は、スペイン内戦が勃発した1936年に射殺された詩人フェデリコ・ガルシア・ロルカの作品にニルダが曲をつけたものだった、いつも何かしらの主張をアルバムに込めているニルダ。が、ここでは自分の作品は1曲も歌っていない。
しかも、取り上げられた曲は多種多様、はっきり言って種々雑多。ひとつの傾向に固まっていない。いろいろなスタイルの歌に耳を傾けていたことがうかがわれる。僕たちと似たような音楽の楽しみ方を、ニルダもしていたんだな、と思う。
60年代、70年代のヒット・パレードの観を呈する選曲で、どれもポップな仕上りになっている。バルバラの「いつ帰って来るの」(4)や、ジェーン・バーキンの「ジョニー・ジェーンのバラード」(12)など、女性みたいな高音が得意のニルダならではのレパートリーと言えるだろう。
シャンソン・フランセーズが装いを変えてゆく時期の作品が選ばれている。“サン=ジェルマン=デ=プレの<RUBY CHAR="女神","ミューズ">”と呼ばれたジュリエット・グレコは、この伝説の地と左岸派のシャンソンの黄金時代への惜別の情をこの歌に託した。「サン=ジェルマン=デ=プレには/もう何もない/明後日も 午後もない/あるのは今日だけ」(「あとには何もない」13)。温かいトランペットの音色のイントロに続いて、グレコより少し速いテンポでニルダは歌う。
同じ1960年、ジャン・フェラが歌った「小さな愛」(7)。パリの町工場で働く娘との慎ましやかな恋物語。その娘のことをフェラはいとしさを込めて「マ・モーム」(僕の彼女)と呼んだ。くしくもこの同じ年、レオ・フェレは「ジョリ・モーム」を発表している。こちらはセーターの下は裸という娼婦を歌ったものだった。
そのフェレが69年発表のアルバムに入れていたのが「アナーキストたち」(8)。独裁者フランコ総統治下のスペインに生きたアナーキストたちへの共感を、フェレは壮麗なオーケストレーションに乗せて歌った。ここでのニルダはピアノ1本で、(後にオルガンも加わるが)抑え気味に、しかしきっぱりと美しく歌う。
ニルダ・フェルナンデスのユニークな声と感性を通した、ノスタルジックなヒット曲のプロムナードを進んで行くうちに、彼への親近感が増してくるアルバムだ。
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