シャルル・アズナヴールが1997年11月4日から翌年1月3日まで、パリのパレ・デ・コングレで行ったリサイタルのライヴ・アルバム。
ポスターやプログラムの表紙にも使われた、ベルナール・ビュッフェのデッサンがジャケットにも見える。果たしてこの顔、似ているものかどうか、初めて見た時にはちょっと考えさせられたものだけれど、ご本人はそんな事にはまるで無関心だと、ある雑誌のインタヴユー記事で語っていた。確かに、デッサンが似ていようがいまいが、彼の実力やキャリア、名声にいささかも傷がつくわけではない。大切なものは他にある、というわけだろう。
私事で恐縮だけれども、97年11月23日の公演を観に行ったことを思い出さずにはいられない。前日に東京を発ち、当日の早朝にパリ着、ステージを観て翌日の朝の便で帰国する、というとんぼ返りの日程だった。でも、その価値は十二分にあった。厳しい寒さがコートを貫き、顔や手が凍りつきそうだった。だからこそかえって、アズナヴールの温かな歌声が心にも身体にもしみわたったのを覚えている。
CD1の1、4、8、10、11、13曲目、CD2の11、18曲目は97年に発表されたニュー・アルバム 《Plus bleu...》(EMI857 528 2)収録曲。
1枚目から耳を傾けてみよう。
幕開けの「あなたの目よりも青く」は1951年にアズナヴールが作詞・作曲したもので、エディット・ピアフが歌った。後に彼自身も歌っている。97年のアルバム冒頭を飾ったのと同じ趣向で、ピアフのヴォーカル・トラックにナマの自分の声をかぶせながら歌い進める。
余談だが、ピアフ・ファンのなかにはこの試みを快く思わない人たちもいるという。「功成り名遂げたアズナヴールが、なぜいまさらピアフの威光を借りなければならないのか」というのがその言い分らしい。没後35周年を目前にして、ピアフへのオマージュを捧げたのだろう、と何となく思っていた僕には意外な感じがする。
「自分でも忘れていたような古い歌を歌います」と「挨拶」で述べ、続けて歌い出すのは「砂の城」(4)。原題は「ひとつずつ」。お城に住み、豪奢な暮らしをしていた主人公がギャンブルで財産を失う。それまで彼を取り巻いていた友人たちはさよならも言わずに去る。彼はひとつ、またひとつと人生を学ぶという、芥川龍之介描く「杜子春」みたいなシャンソン。
7曲目は、作曲家のピエール・ロッシュとデュエットで歌っていた頃の歌から「破れた帽子」。アズナヴールのキャリアのごく初期、1946年のレパートリーで、スウィング感たっぷりに歌い、旧友を偲んでいる。
古いところではもう1曲、59年に発表された「だから君を愛している」が12曲目にある。
「想い出の彷徨」(14)の曲終わりから、途切れることなく「帰り来ぬ青春」(15)へ
歌い継ぐ。この、さりげなさの妙。いずれも過ぎた日々に目を向けてバラードで歌われるが、後者の方がより悔恨の度合いが強いようだ。快活で享楽的だった青春時代を、弾けるリズムとともに思い返しているのは「想い出をみつめて」(9)。前2曲とは好対照だ。
91年に来日公演した時もそうだったけれど、新曲の大半を第1部で披露している。常に前へと進む姿をアピールすることを大切にしているのだろう。そして、観客の耳に馴染んだ曲を第2部により多く並べる。この方式はここでも同様だ。
CD1に収められた新曲のなかでも、彼らしいテーマを盛り込んだ作品として僕が注目するのは「苦い愛」(8)と「女性の権利」(13)」だ。
明言はしていないものの、前者では「愛から死まで/ほんの一歩だった」などの言葉が見受けられるので、恐らく、エイズに脅かされた恋人たちを取り上げたもののように感じられる。愛の様々な形を歌に込めてきたアズナヴールとしては避けて通れないのだろうか。 後者では「女性の権利はかつてのようなものではない」と、女性解放運動家を喜ばせるかのように高らかに宣言する。
「きみを暖めてあげよう」というのが原題の「愛は燃えている」(CD2 (1))で第2部が始まる。会場の外は先に述べたようにとても寒いから、それを考慮に入れているのだろう。
続く「僕の肩でお泣き」(2)は54年の作品だが、愛のシャンソンの達人であるアズナヴールは、深い洞察力から導き出された短い歌詞を冒頭に加えて歌い出し、新味を添えている。観客も初めて接するこの歌詞を静かに聴き、ほどなく、慣れ親しんだ「もしきみを傷つけ/きみの過去を中傷してしまったら/僕の肩でお泣き」が始まってから拍手を贈っている。
アズナヴールはシャンソンのなかで、女性に対して気弱な主人公を描き、それを演じながら歌うことが多い。そんな亭主が酔った勢いに任せて、横暴な(?)女房に愚痴をこぼしながら逆襲を試みる姿が笑いを誘う「のらくらもの」(9)は、いつ聴いてもよくできた作品だと思う。何だかんだと女房への不満を挙げていくけれど、それというのも「優しさを示そうとしてみてくれ/僕に多くの幸せをくれた/娘の頃に戻ってほしい」というのが本音なのだ。
こう言われた女房の側にも言い分があろう。「こんなふうに変わったのは誰のせいなのよ」と、フランスの女性ならずとも反論したくなるのも分かるような気がする。実は、アズナヴールはその反発への答を用意していた。第1部の「女性の権利」を歌った後に、そう告白しているのだ。
「パレ・デ・コングレでは驚きのある夕べと、驚きのない夕べがあります」と「子供たち」(11)を歌う前にアナウンスし、木の十字架少年合唱団を紹介。僕が観た日には彼らは出演しなかったから、“驚きのない夕べ”に当たってしまったようだ。しかも、「子供たち」の曲は公演終了後、観客が席を離れる時のBGMとして流されていただけだったなあ...などとボヤいても始まらない。でも、ピエール・ドラノエ Pierre Delanoe 作詞のこの歌、希望のあるいい歌だ。それに、このCDでは、同合唱団との共演がもう1曲「アヴェ・マリア」で楽しめるのだから愚痴は言うのはよそう。
自らの天才を信じ、画家をめざしてモンマルトルの安アパルトマンに愛する人と暮らした若き日々。志を果たせず空しく時は過ぎ、月日は流れ、恋人も去り、主人公はふとかつての古巣を訪れて返らぬ昔を思う...「ラ・ボエーム」がラスト直前に置かれた。アズナヴールのシャンソンの魅力が凝縮した、いつまでも色あせることのない、まさに名曲、まさに名演。
最後は新曲でしめている。「いつの日かまた会いましょう」(18)。「あなたの道が/私の道を通るなら/私とあなたの自動車(くるま)はすれ違うでしょう」。観客に礼を述べ、再会を呼びかける。
物静かなのに、力強さを感じさせるアズナヴールのリサイタルは、こうして滞りなく終わる。
身振り、手振りはもちろん、彼のステージでは目や顔の表情なども魅力のひとつだ。映像でそれを確かめたい人のためにビデオが発売されている。
《Aznavour live 97/98》
(EMI492253 3)。31曲入りで、約2時間10分。
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