豪華な顔ぶれが集まったものだ。単なる顔見世興行ではない。恵まれない人々への食事の無料配給サービス、レストラン・デュ・クールLes Restaurants du coeur(心のレストラン)の活動を支援するために若手、ヴェテランのアーティストたちが一堂に会したのだ。喜劇役者コリューシュが1985年に呼びかけて始まったこの運動、本人が他界した後も、多くのボランティアに引き継がれている。寄付金を払った人は税金の割引が受けられる「コリューシュ法」に発案者の名は留められた。
普段はそれぞれ個性を大切にし、好き勝手に生きているような印象も受けるフランス人だけれど、筋の通った主張には耳を傾け、必要とあれば一致団結して行動する。そのフットワークの軽やかさには見習うべきものがあると思う。
85年のスタート時点で、ジャン=ジャック・ゴールドマンがレストラン・デュ・クールのテーマソングを書いた。こういう歌詞がある。「豪勢な夕べをいつも約束はできないけれど/ただ 冬に食べ物と飲み物を(・・・)人生を変えても/何時間かの間」
アズナヴールの「世界の果てに」をワンフレーズずつリレー式に歌いながら始まる。「地の果てまで行けば太陽の下、惨めさはより少なくなるだろう」。辛い立場の人々の心を代弁するかのようだ。
20世紀最後の年に入るからだろうか、出演者は自分のレパートリーにこだわらずに、1960年代から90年代にかけて多くの人々に愛唱されたヒット曲の数々をとり上げている。
基本的には8ビートのアレンジが多いのだが、最長老のアズナヴールは「ラ・ボエーム」(5)のイントロにアコーディオンを用い、女性シンガー、ミュリエル・ロバンと大人のヴォーカルを聴かせる。
98年8月に自殺してしまったニノ・フェレールNino Ferrerの「ル・シュッド(南)」(4)も甘美なバラードだ。アングン、アラン・スーション、マキシム・ル・フォレスティエの3人が組んで歌う。余談だが、ジャケットに掲載された写真を見る度に、マキシムの髪が薄くなるような気がする。キャリアに比例しているとも言えるかな。それはともかく、50歳になった彼の声は一段と温かい。
パトリシア・カースも元気がいい。コーラスにまわっても、それとわかる声を響かせている。存在感が確実に増していると言えるだろう。
ジャン=ジャック・ゴールドマンはオフェリー・ウインターと「クウ・ド・フォリー」(12)ではしゃいでいる。ティエリー・パストールThierry Pastorのこの曲が流行った82年、<Il suffira d'un signe>という彼の曲もまたヒットチャートを賑わしていたのだった。
ゲンズブールがフランス国歌「ラ・マルセイエーズ」をレゲエ・ヴァージョンにしてしまったのが79年。そのエスプリはここでも生かされている。ご愛敬なのは歌い終わり。ワールドカップ・サッカー決勝戦時(98年)の応援歌のひとつ、”On est champion...”が高らかに合唱される。(このメロディー、どうしても「伊東に行くならハトヤ」というCMソングのなかの「電話は4126(ヨイフロ)」と同じに聞こえて仕方がない。ハトヤの歌の方が先にできているはずだから、フランス側がパクッたのか、偶然なのだろうか…)
20世紀後半のフランスのヒットパレードをちょっと振り返るような「レ・ザンフォワレ」の熱いライヴを楽しんだら、ジャケットに印刷されたロゴにもう一度目をやろう。ピンクのハートの左右に描かれたナイフとフォーク。このアルバムの売り上げはレストラン・デュ・クールに役立てられる。あなたがこのCDを買えば、何がしかの食べ物を手に入れられる人がいるという事をちょっと立ち止まって考えてみるのはどうだろう。
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