有名なパリの地下鉄。いまその構内ではフランスの若いミュージシャンたちが、ライヴで生の音を響かせています。しかし、乗車したくても張りめぐらされたパリのメトロポリタンにはナビゲーターが必要なのも事実。このコーナーではシャンソンの水先案内人を大野修平がつとめます。
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月刊「サ・ガーズ」 2000年11月号

 

Francesca Solleville
《Grand frere, petit frere》
フランセスカ・ソルヴィル
『兄、弟』
Le Loup du Faubourg
Edito-Hudin LFB036EH7

〈曲目〉

  1. Je chante,excuse-moi
    私は歌うわ、ごめんなさい
  2. Nonnno
    ノンノ
  3. La crie
    せり市
  4. Je sais ton prenom
    あなたの名前は知っている
  5. Mes amis sont comme des anges
    友人たちは天使のよう
  6. Djamila
    ジャミラ
  7. Alice
    アリス
  8. J'avance, j'avance
    私は進む、私は進む
  9. Grand frere, petit frere
    兄、弟
  10. Chanson de Leila
    レイラの歌
  11. Y'a pas de sot metier
    愚かしい仕事はない
  12. Meme l'hiver
    冬でさえ
  13. Sete
    セート
  14. Les amis et les amours
    友人たちと恋人たち
  15. Monsieur le peintre
    画家さん
  16. Epilogue
    エピローグ
   

 先月号で貝山幸子さんが書いていたように、セーヌ川を挟んでパリの表情は趣を異にする。川の上流から見て左側、すなわち左岸にはソルボンヌをはじめ、パリ大学のいろいろな学部や美術学校があり、フランス学士院などもあるせいか、街に知的な雰囲気が漂う。サン・ミッシェル大通り、ジベール書店の店頭ではノートや筆記用具のバーゲンをよくやっていて、学生たちがまとめ買いしている。そんな姿を見かけると、また学校で勉強してみたいな、などという思いに一瞬とらわれたりする。(試験なんかなければ…)


●左岸派style rive gauche●

(スティル・リヴ・ゴーシュ) と呼ばれたシャンソンの一群があった。第二次世界大戦後、1950年代に黄金時代を迎えることになるこの流派の特徴は、安易さを拒むという点にあるだろう。リスナーの感情にばかりでなく、知性にも訴えかける歌詞を持ったシャンソンがいくつも書かれた。その多くは文学的なものだった。その傾向が行き過ぎて、「音楽をないがしろにしている」と批判されることもあったようだ。それらを歌う歌手たちが輩出し、サン=ジェルマン=デ=プレにいくつもあったキャバレ(飲食と音楽などの演し物を楽しめる店)でそうしたシャンソンを夜毎に歌った。

 フランセスカ・ソルヴィルもそのひとりだった。左岸派テイストを持ったレオ・フェレ、カトリーヌ・ソヴァージュ、バルバラといったアーティストたちが逝ってしまったいま、それを伝え得る人は多くはない。現役はジュリエット・グレコ、コラ・ヴォケールの他にはこのソルヴィルくらいのものではないだろうか。

 1995年に、優れたシンガー・ソングライター、アラン・ルプレストの作品だけでCDを作った。アルバム・タイトルは《Al Dente》『アル・デンテ』(EPM-983122)。35年生まれだから、還暦にこのディスクをリリースしたわけだ。タイトルどおり、なかなか歯ごたえのある内容だった。

 そして今年、この《Grand frere, petit frere》『兄、弟』を発表。声に衰えはない。歯切れが実にいい。ミュージシャンはミッシェル・プレカステリ Michel Precastelli(ピアノ)、ベルトラン・ルマルシャンBertrand Lemarchand(アコーディオン)、フィリップ・ナダル Philippe Nadal(チェロ)の3人。過不足なくフランセスカのヴォーカルを支え、盛り上げている。アンヌ・シルヴェストルAnne Sylvestre 作詞・作曲になる冒頭の曲、アコーディオンのイントロが、あっという間に聴く者の耳と心をとらえてしまう。3曲目の「せり市」はアラン・ルプレストの作品。魚を扱う人たちの緊迫した息遣いが伝わる。

 友情を高らかに歌い上げている。ピエール・グロス Pierre Grosz作詞、フランシス・ルマルクFrancis Lenmarque作曲の「友人たちは天使のよう」(5)の歌詞にこうある。「時の流れなどたいした問題ではない/時が襲いかかっても/花束を成している友人たちの/バラを痛めつけることはできない」。また、ピエール・ルーキPierre Louki作詞、フランシス・レイFrancis Lai作曲「友人たちと恋人たち」(14)ではこう歌う。「友情が裏切られても/言葉が悪く切り取られても/別の手が差し伸べられる/冬には春が宿っている」。

 俗語も交えて歯に衣着せず、とは言いながらも独特のユーモア・センスを添え、言いたい事をシャンソンにして歌ったジョルジュ・ブラッサンスGeorges Brassensへのオマージュもある。アップ・テンポで軽快に歌われる「セート」(13)だ。作詞はA.ルプレスト、作曲はジェラール・ピエロンGerard Pierronの手になるもの。生まれ故郷、南仏セートの墓地に埋葬されたブラッサンスのつぶやき、というスタイルを取っている。彼ならいかにもこんな風に言いそうだな、と思わせる作りが心憎い。常に弱い立場の人たちの味方だった彼の姿が目に浮かぶ。

 アルバムのラストに置かれたのは、ルイ・アラゴンLouis Aragonの詩にジャン・フェラJean Ferratが曲をつけた「エピローグ」(16)。「この心臓が何倍も鼓動しているのを感じてもらうために 腕を大きく広げて私はこれらの詩句を書く/死んでも構わないから自分の咽喉や声 息や歌を超えて行く」。激しい詩をフランセスカは力をこめて歌うけれど、絶叫調にはならない。そこに働くのは彼女のインテリジェンスだ。音符の示すところに従い、感情とともに音階を駆け上って行くが、自分を見失わない。熟練の技が光る。 アラゴンの詩を歌うことから始まった歌手としてのキャリアを思い起こせば、このアルバムの構成でも彼女の姿勢が首尾一貫しているのがわかる。

 シャンソン(あえて“左岸派の”と付け加える必要があるだろうか)の持つ力強さをたっぷり感じさせてくれるディスクだ。