有名なパリの地下鉄。いまその構内ではフランスの若きミュージシャンたちが、ライヴで生の音を響かせています。しかし、乗車したくても張りめぐらされたパリのメトロポリタンにはナビゲーターが必要なのも事実。このコーナーではシャンソンの水先案内人を大野修平がつとめます。
この「ディスクガイド」は、サーバーの容量の関係で6ヶ月ごとに削除いたしますので、必要な方はご自分で保存してください。(管理人)
 
 
《Entre-deux》Patrick Bruel

「アントゥル=ドゥー」(輸入盤)
 パトリック・ブリュエル

 BMG-74321926812

   
♪ DISQUE 1
〈曲目〉原題・邦題・発表年代・創唱者・デュエット相手名の順に表記。

  1. Mon amant de Saint-Jean サン・ジャンの私の恋人
    1938 Lucienne Delyle リュシエンヌ・ドリール
  2. Menilmontant メニルモンタン
    1938 Charles Trenet シャルル・トレネ
    En duo avec Charles Aznavour デュエット:シャルル・アズナヴール
  3. Ah! si vous connaissiez ma poule あの娘を知っていたら
    1938 Maurice Chevalier モーリス・シュヴァリエ
  4. Paris, je t'aime d'amour パリ・ジュテーム
    1930 Maurice Chevalier モーリス・シュヴァリエ
  5. Que reste-t-il de nos amours 残されし恋には
    1942 Charles Trenet 
    シャルル・トレネ
    En duo avec Laurent Voulzy デュエット:ローラン・ヴールズィ
  6. Vous qui passez sans me voir 去り行く君
    1937 Jean Sablon ジャン・サブロン
  7. Comme de bien entendu もちろんさ
    1939 Arletty アルレッティ
    En duo avec Renaud デュエット:ルノー
  8. Ou sont tous mes amants 恋人たちはどこに
    1935 Frehel フレエル
    En duo avec Sandrine Kiberlain&Emmanuelle Beart
    デュエット:サンドリーヌ・キベルラン&エマニュエル・ベアール
  9. Je suis dans la deche 落ちぶれて
    1937 Damia ダミア
  10. Quand on s'promene au bord de l'eau 水の畔を歩いてみれば
    1936 Jean Gabin ジャン・ギャバン
    En duo avec Jean-Louis Aubert デュエット:ジャン=ルイ・オーベール
  11. Le temps des cerises 桜んぼの実る頃
    1867 Fred Gouin フレッド・グアン
    En duo avec Jean-Jacques Goldman デュエット:ジャン=ジャック・ゴールドマン
  12. Qu'est-ce qu'on attend pour etre heureux 幸せになるのに何を待つの
    1937 Ray Ventura レイ・ヴァンテュラ
    En duo avec Johnny Hallyday デュエット:ジョニー・アリデイ

♪ DISQUE 2

  1. A Paris dans chaque faubourg パリ祭
    1933 リス・ゴーティ
  2. La java bleue 青色のジャヴァ
    1938 Frehel フレエル
  3. La complainte de la Butte モンマルトルの丘
    1955 Cora Vaucaire コラ・ヴォケール
    En duo avec Francis Cabrel デュエット:フランシス・カブレル
  4. Premier rendez-vous 初めてのランデヴー
    1941 Danielle Darrieux ダニエル・ダリュー
  5. Tout le jour,toute la nuit ナイト・アンド・デイ
    1933 Damia ダミア
    En duo avec Kahimi Kari デュエット:カヒミ・カリィ
  6. J'ai ta main 君の手を取って
    1937 Charles Trenet シャルル・トレネ
    En duo avec Zazie デュエット:ザジ
  7. Ramona ラモーナ
    1927 Fred Gouin フレッド・グアン
  8. Celui qui s'en va 去り行くジャヴァ
    1936 Damia ダミア
    En duo avec Alain Souchon デュエット:アラン・スーション
  9. On n'a pas tout les jours vingtans はかない青春
    1934 Berthe Sylva ベルト・シルヴァ
  10. La romance de Paris パリのロマンス
    1942 Charles Trenet シャルル・トレネ
  11. Parlez-moi d'amour 聞かせてよ愛の言葉を
    1930 Lucienne Boyer リュシエンヌ・ボワイエ
  12. A contretemps オフビートで
    2002 Patrick Bruel パトリック・ブリュエル
   
 思いもかけないシャンソン・フランセーズのCDがリリースされた。
《Entre-deux》「アントゥル=ドゥー」。「中間部」とか、「途中の状態」を指す言葉。
 また、すぐに"Entre-deux-guerre"「アントゥル=ドゥー=ゲール」、第一次と第二次世界大戦の間、という言葉も連想させる。ここには1920年代から50年代にかけてのシャンソンばかりが選ばれているのだから、なおさらだ。 どれもがシャンソン・フランセーズ史上に残る作品と言っていい。

 女性ファンの多いパトリック・ブリュエル。アイドルから真の歌手への“中間部”にあるということだろうか。あるいはまた、若者から熟年へ向かう“途中の状態”にある自分を示そうとしたのだろうか。
 そうした詮索はともかくとしても、これまで自作曲ばかり歌ってきたパトリック・ブリュエルが中心になってまとめ上げたこの2枚組、ほんとに興味深い。
 「人気歌手による温故知新アルバム」というだけでない魅力がたしかにある。

 アラン・スーションを聴いて育った彼が、なぜ自分の両親や祖父母の世代にとってのヒット曲を歌いたくなったのだろうか。
 彼がこれらのシャンソンを発見したのは80年代だという。
 「なかでも最も美しいのは『サン・ジャンの私の恋人』。フランソワ・トリュフォー監督の映画『終電車』で初めて聴きました」。ジュルナル・ド・ディマンシュ紙のカルロス・ゴメス記者にそう語っている。(6月3日付)
 選曲に当たってはパトリックの母親と兄が手伝った。これらの歌は見かけは春の若々しさをたたえているけれど、当時のフランス人たちの不安な思いを表わしている、とも言っている。

 「サン・ジャンの私の恋人」は冒頭に収められている。典型的な3拍子で、こんなリズムでパトリック・ブリュエルが歌うのは初めてじゃないだろうか。
 「サン・ジャン」とは6月24日に行なわれる洗礼者ヨハネの祭り。夏至の日でもある。生きとし生けるものすべてが生命の輝きに溢れる夏はもう目の前だ。
 祭りでは盛んに火が焚かれ、それが消えかかった頃に薪の上を歩いて渡るという風習もフランス各地にあった。アコーディオンがヴァルス・ミュゼットを奏で、男女が踊りまくる。
 そんなサン・ジャンの祭りで出会った男に抱きしめられ、恋に落ちる女。が、祭りの熱狂のうちに交わされた誓いなど男は守ることなく去って行く、という筋書きのシャンソン。
 人民戦線内閣が発足し、ヴァカンスも取れるようになり、理想的な社会が到来したかに見えた。が、1930年代の終わりとともに、ヒトラーの狂気が第二次世界大戦を招くことになる。ドイツでもフランスでも、平和は長く続かなかったのだった。
 パトリック・ブリュエルは「サン・ジャンの私の恋人」のなかに、あの時代の失われゆく束の間の平和や自由、そして不安を感じ取ったのかもしれない。

 貧しい人々に食べ物と飲み物を無料で提供しようという「心のレストラン」。それを支援するコンサートでは、新旧のアーティストたちが他のアーティストのレパートリーを歌うことが何のためらいもなく行なわれている。むしろそれを楽しんでいるとさえ見受けられる。いつ観てもほほえましい姿だ。

 〈曲目〉の項をご覧いただきたい。パトリック・ブリュエルとのデュエット相手に、信じられないような豪華な顔ぶれが並んでいる。ディスク2の5曲目に参加しているカヒミ・カリィだけは、ちょいと疑問符をつけたくなるけれども。
 「心のレストラン」コンサートによく出演している人たちでもある彼らは、このアルバム「アントゥル=ドゥー」でも、いかにも楽しそうに、快く過去のヒット曲の数々を歌っている。誰もが自然な感じなのがいい。
 おそらく、彼らは過去のシャンソン・フランセーズのなかにかけがえのない価値を見出しているからこそ参加しているのだと思う。

 パトリックとデュエットしている歌手のなかで最年長はシャルル・アズナヴール(ディスク1−2)だろう。モーリス・シュヴァリエの「メニルモンタン」を実に楽しそうに歌っている。
 お祖父さんと孫と言える二人ではあるけれど、歌うことにかけてはどちらもプロフェッショナル意識を思いきり発揮しているのが好ましい。

 デビュー当時、そのアズナヴールに曲を書いてもらっていたジョニー・アリデイがディスク1をしめくるる。「ヘイ、パトリック」とヴォーカルのきっかけを出してやったり、上機嫌だ。

 パトリックと同世代の連中に支持されているアラン・スーションの歌声も「去り行くジャヴァ」(ディスク2−11)で聴ける。スーションの相棒、ローラン・ヴールズィも、もちろんいる。トレネの名曲の誉れ高い「残されし恋には」(1−5)で、いつものように"ah!〜"と、トロピカルな溜め息を聞かせてくれる。

 「初めてのランデヴー」(2−4)は、もともと“歌う映画女優”ダニエル・ダリューが歌ったもの。パトリックが電話をかけたら二つ返事でレコーディングに駆けつけて来てくれたという。これまた嬉しい話だ。ところが、「初めてのランデヴー」はパトリックが録音した。
 そのダニエル・ダリューはディスク2のトップで「パリ祭」を堂々と聴かせてくれる。元気で何よりだ。

 最も古いシャンソンは「桜んぼの実る頃」(1−11)。この歌の成り立ちについては、当サイトの別項をご参照いただきたい。(トップページから入れます)ここでは、ジャン=ジャック・ゴールドマンとのデュエットなのだが、パトリックのほうばかり目立っているのはどうしたわけだろう。

 ファブリス・モローの叩くドラムスが際立つ「去り行く君」(1-6)は、メロディアスな原曲とは打って変わった印象。途中、パトリックの口三味線ならぬ口ラッパによる間奏も面白い。

 自身《Le p'tit bal du samedi soir》「土曜の夜のちっとしたダンス・パーティー」というシャンソン・レアリストのアルバムを出したこともあるルノー。パトリックと「もちろんさ」(1-7)で、軽快に息の合ったところを見せる。モンマルトル界隈をうろついていた“パリの悪戯っ子”っぽいルノーの味がよく出ていて楽しい。

 「モンマルトルの丘」(2−3)を歌いたがるアーティストが多かったそうだ。結局、フランシス・カブレルが選ばれた。淡々としていながら、そこはかとない哀愁を漂わせる独特の歌い方だ。

 トレネの「パリのロマンス」(2−10)では、ピエール・シャリエルが演奏するオルグ・ド・バルバリー(手回しオルガン)も懐かしい雰囲気を醸し出す。

 続く「聞かせてよ愛の言葉を」(2−11)も、「落ちぶれて」(1-9)同様、伴奏楽器を最小限にしている。
 言わずと知れた、リュシエンヌ・ボワイエのこの大ヒットではギター、チェロ、クラリネットで穏やかに、パトリックのヴォーカルを見守るように包み込んでいる。

 ラストでパトリック・ブリュエルは自分自身の言葉で歌う。そう、「オフビートで」(2-12)。

 ねえ、きみは誰のために踊ったの
 これらのジャヴァやロマンスを
 人々の目の前で
 これらの歌は何を語るのだろうか
 もし 何もかもが変わっても
 このちょっとしたメロディーは何ひとつ忘れることはないさ

 Dis-moi pour qui tu danses
 Ces javas,ces romances
 Devant les yeux d'un monde
 Que ces chansons racontent
 Et meme si tout a change
 Ce petit air n'a rien oublie