思いもかけないシャンソン・フランセーズのCDがリリースされた。
《Entre-deux》「アントゥル=ドゥー」。「中間部」とか、「途中の状態」を指す言葉。
また、すぐに"Entre-deux-guerre"「アントゥル=ドゥー=ゲール」、第一次と第二次世界大戦の間、という言葉も連想させる。ここには1920年代から50年代にかけてのシャンソンばかりが選ばれているのだから、なおさらだ。 どれもがシャンソン・フランセーズ史上に残る作品と言っていい。
女性ファンの多いパトリック・ブリュエル。アイドルから真の歌手への“中間部”にあるということだろうか。あるいはまた、若者から熟年へ向かう“途中の状態”にある自分を示そうとしたのだろうか。
そうした詮索はともかくとしても、これまで自作曲ばかり歌ってきたパトリック・ブリュエルが中心になってまとめ上げたこの2枚組、ほんとに興味深い。
「人気歌手による温故知新アルバム」というだけでない魅力がたしかにある。
アラン・スーションを聴いて育った彼が、なぜ自分の両親や祖父母の世代にとってのヒット曲を歌いたくなったのだろうか。
彼がこれらのシャンソンを発見したのは80年代だという。
「なかでも最も美しいのは『サン・ジャンの私の恋人』。フランソワ・トリュフォー監督の映画『終電車』で初めて聴きました」。ジュルナル・ド・ディマンシュ紙のカルロス・ゴメス記者にそう語っている。(6月3日付)
選曲に当たってはパトリックの母親と兄が手伝った。これらの歌は見かけは春の若々しさをたたえているけれど、当時のフランス人たちの不安な思いを表わしている、とも言っている。
「サン・ジャンの私の恋人」は冒頭に収められている。典型的な3拍子で、こんなリズムでパトリック・ブリュエルが歌うのは初めてじゃないだろうか。
「サン・ジャン」とは6月24日に行なわれる洗礼者ヨハネの祭り。夏至の日でもある。生きとし生けるものすべてが生命の輝きに溢れる夏はもう目の前だ。
祭りでは盛んに火が焚かれ、それが消えかかった頃に薪の上を歩いて渡るという風習もフランス各地にあった。アコーディオンがヴァルス・ミュゼットを奏で、男女が踊りまくる。
そんなサン・ジャンの祭りで出会った男に抱きしめられ、恋に落ちる女。が、祭りの熱狂のうちに交わされた誓いなど男は守ることなく去って行く、という筋書きのシャンソン。
人民戦線内閣が発足し、ヴァカンスも取れるようになり、理想的な社会が到来したかに見えた。が、1930年代の終わりとともに、ヒトラーの狂気が第二次世界大戦を招くことになる。ドイツでもフランスでも、平和は長く続かなかったのだった。
パトリック・ブリュエルは「サン・ジャンの私の恋人」のなかに、あの時代の失われゆく束の間の平和や自由、そして不安を感じ取ったのかもしれない。
貧しい人々に食べ物と飲み物を無料で提供しようという「心のレストラン」。それを支援するコンサートでは、新旧のアーティストたちが他のアーティストのレパートリーを歌うことが何のためらいもなく行なわれている。むしろそれを楽しんでいるとさえ見受けられる。いつ観てもほほえましい姿だ。
〈曲目〉の項をご覧いただきたい。パトリック・ブリュエルとのデュエット相手に、信じられないような豪華な顔ぶれが並んでいる。ディスク2の5曲目に参加しているカヒミ・カリィだけは、ちょいと疑問符をつけたくなるけれども。
「心のレストラン」コンサートによく出演している人たちでもある彼らは、このアルバム「アントゥル=ドゥー」でも、いかにも楽しそうに、快く過去のヒット曲の数々を歌っている。誰もが自然な感じなのがいい。
おそらく、彼らは過去のシャンソン・フランセーズのなかにかけがえのない価値を見出しているからこそ参加しているのだと思う。
パトリックとデュエットしている歌手のなかで最年長はシャルル・アズナヴール(ディスク1−2)だろう。モーリス・シュヴァリエの「メニルモンタン」を実に楽しそうに歌っている。
お祖父さんと孫と言える二人ではあるけれど、歌うことにかけてはどちらもプロフェッショナル意識を思いきり発揮しているのが好ましい。
デビュー当時、そのアズナヴールに曲を書いてもらっていたジョニー・アリデイがディスク1をしめくるる。「ヘイ、パトリック」とヴォーカルのきっかけを出してやったり、上機嫌だ。
パトリックと同世代の連中に支持されているアラン・スーションの歌声も「去り行くジャヴァ」(ディスク2−11)で聴ける。スーションの相棒、ローラン・ヴールズィも、もちろんいる。トレネの名曲の誉れ高い「残されし恋には」(1−5)で、いつものように"ah!〜"と、トロピカルな溜め息を聞かせてくれる。
「初めてのランデヴー」(2−4)は、もともと“歌う映画女優”ダニエル・ダリューが歌ったもの。パトリックが電話をかけたら二つ返事でレコーディングに駆けつけて来てくれたという。これまた嬉しい話だ。ところが、「初めてのランデヴー」はパトリックが録音した。
そのダニエル・ダリューはディスク2のトップで「パリ祭」を堂々と聴かせてくれる。元気で何よりだ。
最も古いシャンソンは「桜んぼの実る頃」(1−11)。この歌の成り立ちについては、当サイトの別項をご参照いただきたい。(トップページから入れます)ここでは、ジャン=ジャック・ゴールドマンとのデュエットなのだが、パトリックのほうばかり目立っているのはどうしたわけだろう。
ファブリス・モローの叩くドラムスが際立つ「去り行く君」(1-6)は、メロディアスな原曲とは打って変わった印象。途中、パトリックの口三味線ならぬ口ラッパによる間奏も面白い。
自身《Le p'tit bal du samedi soir》「土曜の夜のちっとしたダンス・パーティー」というシャンソン・レアリストのアルバムを出したこともあるルノー。パトリックと「もちろんさ」(1-7)で、軽快に息の合ったところを見せる。モンマルトル界隈をうろついていた“パリの悪戯っ子”っぽいルノーの味がよく出ていて楽しい。
「モンマルトルの丘」(2−3)を歌いたがるアーティストが多かったそうだ。結局、フランシス・カブレルが選ばれた。淡々としていながら、そこはかとない哀愁を漂わせる独特の歌い方だ。
トレネの「パリのロマンス」(2−10)では、ピエール・シャリエルが演奏するオルグ・ド・バルバリー(手回しオルガン)も懐かしい雰囲気を醸し出す。
続く「聞かせてよ愛の言葉を」(2−11)も、「落ちぶれて」(1-9)同様、伴奏楽器を最小限にしている。
言わずと知れた、リュシエンヌ・ボワイエのこの大ヒットではギター、チェロ、クラリネットで穏やかに、パトリックのヴォーカルを見守るように包み込んでいる。
ラストでパトリック・ブリュエルは自分自身の言葉で歌う。そう、「オフビートで」(2-12)。
ねえ、きみは誰のために踊ったの
これらのジャヴァやロマンスを
人々の目の前で
これらの歌は何を語るのだろうか
もし 何もかもが変わっても
このちょっとしたメロディーは何ひとつ忘れることはないさ
Dis-moi pour qui tu danses
Ces javas,ces romances
Devant les yeux d'un monde
Que ces chansons racontent
Et meme si tout a change
Ce petit air n'a rien oublie