音楽の好みが似通っている仲間たちが集まって自然に始まったジャムセッションみたいな、くつろいだ気分漂うアルバム。
「コワン・ド・リュ」がグループ名だろうか。ジャケットからはそう受け取れる。
サブタイトルには"Chansons musette swing"とある。「スウィングするシャンソン・ミュゼット」という言い方で、アルバム全体の雰囲気が表わされている。
そのとおり、軽快で小刻みな3拍子がスウィング感溢れる演奏によって明るく、生き生きした表情を見せる。
ヴォーカルはモニック・ユテール、ファビエンヌ・ドンダール(アコーディオンも担当)の女性二人。ひとりで1曲を通して歌ったり、時に同じ曲を代わる代わる歌ったり。
他にギター、ピアノにベルナール・アンテリユー、ウッドベースにミッシェル・アルティエ、ギターにベルナール・スコッティ、コーラスにジャン・デュイノ、アントニー・ボールドウィン、ガエターヌ・メリアス、ミッシェル・バルリエが加わっている。
「恋の唄」(12)で元気のいいスキャットを聴かせるダニエル・ユックは、アルトサックスも吹く。
パワフルなスキャットを初めて聴いたのは、男女二人ずつのコーラスグループTSF(テー・エス・エフ)のアルバム《Un p'tit air dans la tete》(ソニーレコード SRCS-5820)だった。
まるで黒人のシンガーみたいだなぁ、という印象を強く受けたものだ。身体の内側から噴き上がって来るような、エモーションたっぷりのダニエルのスキャットはいつ聴いても心を躍らせてくれる。
コワン・ド・リュのCDに移ろう。
シャルル・トレネのシャンソンが「ああ、こんにちは」(1)、「雨のランデヴー」(4)、「恋の唄」(12)と3曲選ばれている。 シャンソン・フランセーズをスウィングさせた先達へのウインクだろうか。
そういえば「コワン・ド・リュ」(「街角」)というトレネのシャンソンもあったっけ。
3曲目。どこかで聴いたことのあるメロディーだなと思ったら、やっぱりそうだった。 レ・プリミティフ・デュ・フュテュール Les primitifs du futur(“未来の野蛮人たち”とは面白い名前だ)というグループのアルバム《World musette》(Sketch SKE-333012 輸入盤)にも入っていたものだ。
ドミニク・クラヴィック(ヴォーカル、ギター)、ロバート・クラム(バンジョー、マンドリン)を中心としたあのグループのアルバムでは、6曲目のおまけのような形で入っていた。
タイトルは《Je n'ai qu'un amour c'est tou》「恋人はあなただけ」。「だからそんなに妬かないで」とモニックが歌う。
雨降るなか、待ちぼうけを食わされた気持ちを歌うのが「雨のランデヴー」(4)。トレネだともう少しおかしみもあるのだけれど、ファビエンヌとモニックはより切ない感じを漂わせている。
ユーモラスな味があるのは「はだかを見られた」(5)。ミスタンゲットのレパートリーだ。ここでのモニックはちょっぴりコケティッシュでもある。
バルバラの初期のシャンソン「リラの季節」(6)、ジョルジュ・ブラッサンスの「色情天使」(11)なども、本人以外の演唱をあまり聴いたことがない。いずれも自分たちの色に染め上げている。
こうした隠れた佳曲に目をつけるところに、彼女たちの選曲眼が光る。
「彼はパっとしない」(8)はジャヴァの楽しさを前面に押し出している。
フレエルの持ち歌として知られる「雀のように」(9)では、モニックのシャントゥーズ・レアリスト(現実派女性シャンソン歌手)としての存在感が際立つ。
若き日のフレエルもかくや、と思えるほどだ。
トニー・ミュレナ、ジョゼフ・コロンボの名曲「パッシオン」(13)の素早く流れ去るようなメロディーを、ファビエンヌがアコーディオンで弾く。きっちりとした3拍子。それに歌詞を乗せてゆくモニック。ベルナール・アンテリユーのギターがそれらを軽やかに支えている。
ギターが緩やかな3拍子を刻み、アコーディオンが軽いメランコリーを奏でるラストの《En passer par la...》(アン パッセ パル ラ…)。
あえて原語のまま残しておきたい気持ちにとらわれる。訳せば「〜を諦めて受け入れる」とか「仕方なく〜を我慢する」といった意味になる。
初めの数行の歌詞を拾い出してみる。
「街角で/人生が過ぎ去って行くことを/甘んじて受け入れる/人々はきみにとすれ違い/きみを見た」…。
モニック・ユテールとコーラスの歌声が画面の奥に去って行くかのように消え、この曲は終わる。
ヴァルス・ミュゼット、シャンソン、スウィングが仲良くワルツを踊っているような、好ましいアルバム。