軽妙洒脱をダンディズムにまで引き上げた感があるのが、アンリ・サルヴァドールの音楽と芸風だ。
どの曲を聴いても肩に余計な力が入っていない。だからといって手抜きをしているのではまったくない。驚くほどリラックスして音の連なりに身を委ねながら歌っている。この境地に達するアーティストが果たしてどれほどいるだろうか。
考え抜かれた構成と言える。おそらく日本公演もこの流れに沿って行なわれるものと思われる。
まずは「こんにちは、そしてようこそ」(1)と、観客を迎える気持ちを歌で表わす。冗長なお喋りでそうしないないところがミソだ。この精神はラストの「ボンソワール・アミ」(訳せば「おやすみなさい、友人のみなさん」といったところ)にも示される。歌手なのだから、すべてを歌で表現しようというわけだろう。
エンターテイナーとしても、観客に対する細やかな心遣いを見せる。「優しい歌」(16)で観客がコーラスする箇所がある。歌いながらすかさず「ありがとうございます」とひと言。サルヴァドールにこう言われて嬉しくない人なんていないだろう。
スウィング感溢れるギタリストのビレリ・ラグレーヌに歌わせたり、可愛らしい感じのリサ・エクダーヌに出番を作ってやったりと、面倒見のいいところも垣間見せてくれる。
アズナヴールが歌った「悲しみのヴェニス」などを作詞したフランソワーズ・ドランが歌詞を書いた「なんて愚かな女」(4)も面白い。
肉体的にはルーヴル美術館に置いてもいいほど美しい女が、実は間抜け。彼女に惚れて結婚しようとする「僕」は式の最中、彼女にこう言われる。「あたしを奥さんに選ぶなんて、あんたほんとに間抜けね」。
悲しくもおかしい(その反対かな)曲になっている。
アンリ・サルヴァドールの名刺がわりとも言える「シラキューズ」(14)。数え切れないほど歌っているはずなのに、慣れきった歌い方をせず、新鮮な感じさえ漂わせる。だから、こちらも何度聴いても飽きることがないのだろう。
前作のアルバム「サルヴァドールからの手紙」に収められていた、真新しい「こもれびの庭で」(15)が続く。軽やかなボサノヴァのリズムにフランス語歌詞がよく乗ってて心地良い。
新旧の代表曲が並べられているところも心憎いじゃないですか。
ダリダ、ジェーン・バーキンも取り上げている、レオ・フェレの名曲「時の流れに」(17)もソフトに聴かせる。こういう歌い方も説得力があるなぁ、と思わされる。
「優しい歌」(16)の後に置かれているのも肯ける。そう、「時の流れに」はレオ・フェレにおける「優しい歌」だったのだ。
"performannce"と書いてフランス語では「ペルフォルマンス」と発音する。「手柄」「成功」といった意味が辞書に出ている。
聴き終わって誰もが彼の“パフォーマンス”が成功していることを確信するだろう。