有名なパリの地下鉄。いまその構内ではフランスの若きミュージシャンたちが、ライヴで生の音を響かせています。しかし、乗車したくても張りめぐらされたパリのメトロポリタンにはナビゲーターが必要なのも事実。このコーナーではシャンソンの水先案内人を大野修平がつとめます。
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Vincent Delerm
《Vincent Delerm》
 

 tot ou tard-8345 10503 2

〈曲目〉

  1. Fanny Ardant wt moi
  2. La vipere du Gabon
  3. Chatenay Malabry
  4. Categorie Bukowsky
  5. Tes parents
  6. Cismopolitan
  7. Slalom geant
  8. Le monologur Shakespearien
  9. Charlotte Carrington
  10. Deauville sans Trintgnan
  11. L'heure du the
   

 音楽賞「ヴィクトワール・ド・ラ・ミュジーク2003」でアルバム賞を授与された才能あるシンガー・ソングライター、ヴァンサン・ドレルムのCD。
 あえて咽喉を開かない、ねっとりした感じのヴォーカルは好き嫌いの評価が分れるところだろう。スカッと抜けた明るい発声とはほど遠い。悪く言えば、口先だけで歌っているような印象を受ける。
 だが、アルバム・ジャケットに見られるモノクロ写真に相通じる、彼が描く世界のトーンにはマッチしていることが何回か聴くうちに分ってくる。

 ヴァンサン・ドレルムの描く世界。それはある意味で、極私的な日常の断片である。
 女優ファニー・アルダンとの暮らしぶりを語る口調も淡々としている。(1)グレゴリオ聖歌を聴きながら、「僕」は何も言わず、「彼女」は少ししか話さない。二人の間には燃えるような愛があったのか、なかったのかもよく分らない。そんな何気ない日常。

 大ベストセラーとなった『ビールの最初の一口』の著者であるた父、フィリップ・ドレルムからの影響でもあるだろう。日々の暮らしのディテイルのなかに幸せや喜びを見つける才能が、ヴァンサンにも備わっているようだ。
 「ガボンのマムシ」(2)には、幼い頃の動物園での思い出が反映されているのだろう。
 「シャトネイ=マラブリー」(3)。ヴァンサンが弾くピアノにアランブラ弦楽四重奏が絡む。子持ちの女性が、いまは離れ離れに暮らしている女友だちに手紙を書く、というシテュエーション。自分の家庭の事情を書き連ねながら蘇って来る、過去の様々な瞬間。それらが手紙の主の心を曇らせてゆく。
 「エリザベート、あなたの家の消息を受け取らなくなってからずいぶん経つわ」。このひとことで歌は終わる。友人との距離感が巧みに浮き彫りにされている。

 「トランティニャンのいない日曜日」(10)。ヴァンサンのピアノ1本による歌が印象深い。
 ドーヴィル。クロード・ルルーシュ監督の名画『男と女』の舞台となった避暑地だ。あの映画で“男”はジャン=ルイ・トランティニャン、“女”はアヌーク・エーメが演じていた。
 楽しいはずの日曜日のデート。トランティニャンのいないドーヴィルで、この歌の主人公「彼女」の心境がこう歌われる。

彼女はあの映画のことをまた考える
雨降るドーヴィルで
トランティニャンのいないドーヴィルは
ちょっと期待はずれ

Elle repense a ce film
Sous la pluie de Deauville
C'est un peu decevant
Deauville sans Trintignant

 全体に映画的な描写が生きた作品だ。

 人生は脈絡もなく続いているように見える。そのひとコマをストップモーションとして言葉で定着させた感のある、ヴァンサン・ドレルムの世界。アコースティックだからこそ生きるモノクロの喜びや悲しみ。
 彼が描き出すそうした日常の細かな断片に「だからどうした」という問を投げかけたくなる人には縁のない独自のポエジーが、そこには漂っている。