音楽賞「ヴィクトワール・ド・ラ・ミュジーク2003」でアルバム賞を授与された才能あるシンガー・ソングライター、ヴァンサン・ドレルムのCD。
あえて咽喉を開かない、ねっとりした感じのヴォーカルは好き嫌いの評価が分れるところだろう。スカッと抜けた明るい発声とはほど遠い。悪く言えば、口先だけで歌っているような印象を受ける。
だが、アルバム・ジャケットに見られるモノクロ写真に相通じる、彼が描く世界のトーンにはマッチしていることが何回か聴くうちに分ってくる。
ヴァンサン・ドレルムの描く世界。それはある意味で、極私的な日常の断片である。
女優ファニー・アルダンとの暮らしぶりを語る口調も淡々としている。(1)グレゴリオ聖歌を聴きながら、「僕」は何も言わず、「彼女」は少ししか話さない。二人の間には燃えるような愛があったのか、なかったのかもよく分らない。そんな何気ない日常。
大ベストセラーとなった『ビールの最初の一口』の著者であるた父、フィリップ・ドレルムからの影響でもあるだろう。日々の暮らしのディテイルのなかに幸せや喜びを見つける才能が、ヴァンサンにも備わっているようだ。
「ガボンのマムシ」(2)には、幼い頃の動物園での思い出が反映されているのだろう。
「シャトネイ=マラブリー」(3)。ヴァンサンが弾くピアノにアランブラ弦楽四重奏が絡む。子持ちの女性が、いまは離れ離れに暮らしている女友だちに手紙を書く、というシテュエーション。自分の家庭の事情を書き連ねながら蘇って来る、過去の様々な瞬間。それらが手紙の主の心を曇らせてゆく。
「エリザベート、あなたの家の消息を受け取らなくなってからずいぶん経つわ」。このひとことで歌は終わる。友人との距離感が巧みに浮き彫りにされている。
「トランティニャンのいない日曜日」(10)。ヴァンサンのピアノ1本による歌が印象深い。
ドーヴィル。クロード・ルルーシュ監督の名画『男と女』の舞台となった避暑地だ。あの映画で“男”はジャン=ルイ・トランティニャン、“女”はアヌーク・エーメが演じていた。
楽しいはずの日曜日のデート。トランティニャンのいないドーヴィルで、この歌の主人公「彼女」の心境がこう歌われる。
彼女はあの映画のことをまた考える
雨降るドーヴィルで
トランティニャンのいないドーヴィルは
ちょっと期待はずれ
Elle repense a ce film
Sous la pluie de Deauville
C'est un peu decevant
Deauville sans Trintignant
全体に映画的な描写が生きた作品だ。
人生は脈絡もなく続いているように見える。そのひとコマをストップモーションとして言葉で定着させた感のある、ヴァンサン・ドレルムの世界。アコースティックだからこそ生きるモノクロの喜びや悲しみ。
彼が描き出すそうした日常の細かな断片に「だからどうした」という問を投げかけたくなる人には縁のない独自のポエジーが、そこには漂っている。