WEAジャパンから5月に、ジャック・イジュラン「異教徒たちのパラダイス」(WPCR-10967)、トマ・フェルセン「魚の日」(WPCR-10965)、同じくトマ・フェルセン「キャトル」(WPCR-10966:このアルバム、1999年に第52回アカデミー・シャルル・クログランプリを獲得している)とともにリリースされたもの。
紹介がこんなに遅れたのには、えらく個人的な理由がある。
ひとつは当サイト立ち上げに向けて、準備に時間を取られたこと。もうひとつは、このアルバムのライナーノーツを書く仕事を引き受けて、もう、数え切れないほど聴いてしまったので、ちょいと食傷気味になっていたこと。
だから、ぜひ本アルバムを買って、なかに入っている解説を読んでいただきたい、というのが本音。勢いよく、ちゃんと書いてますから。
とはいえ、いずれにしても、怠慢のそしりは免れられまい。(WEAジャパンの田中さん、そして読者のみなさん、どうもすみません…。)
ライナーノーツに書いたことを繰り返すのも能がない感じだけれど、やはり強調しておかなければならないことがある。
よく、「いまのフランスに、シャンソンなんてもうないよ」なんて言ってのける人がいる。僕に言わせればそんなのは暴言だ。そりゃ、フレエルやミスタンゲット、モーリス・シュヴァリエやイヴ・モンタンみたいなタイプと同等の歌手はいないだろう。
だからといって、シャンソン・フランセーズの精神までが消え去ってしまったということにはならない。それは時代とともに姿形を変え、身にまとう衣を替えていまも息づいているのだ。それを感知できないないのは、その人の感性の問題だ。鈍いのか、動脈硬化をきたしているのか、まあ、そのどちらかじゃないだろうか。
いい例がこのグループ、テット・レッド Tetes Raides だ。
一見したところ、ロックグループに思える。ところが、それだけではない。ヴォーカルのクリスティアン・オリヴィエはアコーディオンを弾きながら歌い、そのステージは庶民的なダンスパーティー、バル・ミュゼット風の趣も兼ね備えている。ここに、シャンソン・フランセーズとの接点があると言える。
それに、注目すべきは彼の書く歌詞だ。
ジノは鳥を売るのが商売だが、ある日、逃げられてしまう。「この界隈の鳥たちの仲間になる/彼らはありとあらゆる籠の鍵を持っているんだ」(4.「ジノ」)なんてプレヴェールを思わせる。
「ル・クール・ア・サ・メモワール/心は思い出を抱く」(8)のこのフレーズもいい。「ギターの調べに涙しよう/俺たちの人生から/立ち去って行った人たちの/思い出に涙しよう/何ひとつ変えることも/誰ひとり歌うこともない/彼らの定めをを思い/拳をにぎりしめて」。
ロベール・デスノスの作品から借りて来た、幻想的なユーモアもちりばめられている。「ラムール・トンブ・デ・ニュ/雲から降って来た愛」(10)。中世のある土曜日、サバト(夜宴)に行こうと箒に乗って飛んでいた魔女が雲(nues ニュ)から落ちて来る。地上に落ちた魔女は“全裸”(toute nue トゥット・ニュ)。“ニュ”というタンゴの響きで遊んでいる。
「エミリー」(11)はシャンソン・レアリストの世界だ。船乗りたちの集まるカフェが舞台。ピルゼンの黒ビールをあおり続ける船長がカウンターにいる。エミリーという女性はついに最後まで登場しない。でも、彼は現われないエミリーを待っているのだろう。時折、死を思いやりながら…。
ある夜、ナイフが部屋から通りに出て殺人を犯す、と始まる「トランペット・ソング」(15)はシュルレアリスム風のタッチがきいている。ここにもトランペットなんか出て来ない。ボリス・ヴィアンが「北京の秋」という小説を書いた時、内容が北京とも秋とも関係ないからこのタイトルを選んだ、というエピソード を思い出す。
遠く、16世紀に奇書「ガルガンチュア物語」を著したフランソワ・ラブレーが持ち合わせていたユーモアに満ちた遊び心。20世紀に入ってアルフレッド・ジャリががそれを掘り起こし、マルセル・デュシャンやマン・レイなどの芸術家、シュルレアリスムの詩人アンドレ・ブルトンやロベール・デスノス、ボリス・ヴィアン、ジャック・プレヴェールに受け継がれた。
物事をあるがままにとらえず、他の見方をする、というこの態度は多少ヘソ曲がりにも通じるけれど、別に、世をすねて斜に構えることを意味してはいない。楽しく、面白く、時にはアイロニカルに目の前の現象をとらえ、表現してみせるだけだ。
音楽の世界では、セルジュ・ゲンズブール、ボビー・ラポワント、ピエール・ルーキからMCソラーに至るまで見受けられる傾向で、ここに聴くテット・レッドもそれを持っているというわけだ。
この精神の傾向をジャリやヴィアンの使った言葉を借りれば、パタフィジックということになる。
もともとフランス人には他人と異なっていることを喜んだり、尊んだりする気持ちの働きがあるから、パタフィジックはそれを拡張したものと考えていいだろう。
シャンソン・フランセーズやバル・ミュゼットとロックが混在するテット・レッドに1996年から、アコーディオニストのジャン・コルティが欠かせないメンバーとして加わっている。これまた素敵な融合だ。
シャンソン・フランセーズに未来がない、なんてこうした動きひとつ見ても言えないだろう。
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