アルバム・ジャケットのジェーンはこちらに背中を向けている。観客に背を見せない、というのはステージに立つ者の基本的な心構えのはずなんだけれど、彼女の場合、こうした破格にも風情すら感じてしまう。正面を向いた顔なんか見せなくてもジェーンはジェーン、と言っているかのようだ。
というわけで、(かどうかは分らないが)冒頭の曲が「私はジェーン」。昔もいまも変わらない、彼女のイギリス訛のフランス語をからかうような歌詞もある。ミッキーによる問いかけが続き、ジェーンが次々に答えてゆくというスタイル。まるでインタヴューみたいな作りだ。阿波踊りみたいなリズムにちょっと笑える。
ミッキーことミカエル・フュルノンによる歌詞はなかなかよくできていて、ジェーンのヒット曲からタイトルや単語を引用している。
アルバム全体はいろいろなシンガーたちとのデュエットでまとめられている。その顔ぶれも多岐にわたっていて、ちょっとした驚きを感じる。シャンソン、ヴァリエテ・フランセーズのスターばかりでなく、カエターノ・ヴェローゾやブライアン・フェリー、パオロ・コンテなどと、軽やかにジャンルを超えたセッションをしているといった趣がある。
わが日本からは井上陽水も自作曲「カナリー・カナリー」(13)(16)で参加。2ヴァージョンを聴かせ、取り合わせの妙が漂う。この延長線上のアイディアとして、フランス語で歌う陽水なんてのも聴いてみたいなぁ。
懐かしい思いがするのは「恋の真似ごと」(8)ミッシェル・デルペッシュが1971年に歌った「青春に乾杯」のリメイクだ。クリストフ・ミオセックがゲンズブール風に語るような感じで、ジェーンのヴォーカルにまとわりつくように歌っている。あくまで明るく陽気なデルペッシュの歌ったヴァージョンと比べると、ちっぴり隠微な雰囲気さえ感じさせる。
「時をこえて」(8)とは面白いタイトルだ。イエイエ全盛期、並みいるスターたちとは異なる、翳のあるイメージをたたえていたフランソワーズ・アルディとのデュエットが聴ける。まさに「時をこえて」いまも現役で活躍する、長いキャリアを持つ二人の共演には微笑ましいものがある。
「時をこえた女性/オペラ・ガルニエの/バレリーナのように/流行遅れにならない でも、」"Surannee/Comme une balleline/De l'Opera Garnier/Indemodable mais,"。
「でも」に込められた思いは何だろうか。
ジェーンは観客を前にして歌うことを続けている。が、アルディはレコーディングはするものの、ステージに立つのは大の苦手。浮き沈みの激しいショー・ビジネス界をそれぞれのスタイルを貫いて生き抜いてきた、時をこえた二人…。
思えばゲンズブールとのあのスキャンダラスな「ジュ・テーム・モワ・ノン・プリュ」や「デカダンス」の時代から、デュエットはジェーンの得意技だった。いままたその原点に立ち戻って輝いている。