このアルバムがフランスで発売されたのが去年の10月。1年近く経って日本盤も出た。
これほど何度も繰り返し聴いて飽きの来ないアルバムも数少ない。
アンリ・サルヴァドールの紡ぎ出す言葉と音楽の世界に思いっきり魅せられ、軽い失語症になったまま月日が過ぎてしまった。この状態、ちょうど、愛する人の面影を微に入り細をうがって言い表わせないのと似ている。
聴いているだけで至福の時が流れる。
僕の拙い言葉など及びもつかない、柔らかで豊かな音の広がり。さかしらな注釈の必要もない。これらの音の流れとリズムの連なりに耳をさらし、身をひたすだけでいい。やがて、朝日を浴びた氷の塊のように疲れた心が溶けていくのが感じられるだろう。
この爽やかさ。南国の椰子の木蔭を吹き過ぎてゆく風にたとえようか。それとも、高原の草花や木の葉をそよがせる涼風か。
日々の暮らしで神経がとげとげしたら、この温かみのある声を浴びてみよう。ゆったりとしたボサノヴァのリズムが救いをもたらしてくれるはずだ。
このテンポ、リズムがいまのアンリ・サルヴァドールの鼓動であり、彼が人生街道を歩く時のスピードを決めているように思われる。
人の世のあらゆる楽しいこと、悲しいこと、その中間にある、どちらともつかないことの数々をも見聞きしながら誠実に生きてきた人だけが持つ優しさ。
1995年11月、カジノ・ド・パリでアンリ・サルヴァドールのショーを観たことがある。
始まってしばらくして彼がギターを取って歌おうとしたら、客席から声がかかった。「『シラキューズ』を!」。言わずと知れた往年の大ヒット曲だ。にっこり微笑みながら答えていわく、「そんなに急いでるのかい」。満場がどっと爆笑に包まれた。この余裕とユーモアのきいた切り返しが彼の魅力を際立たせている。もちろん、客の気持ちを察して「あとで歌いますよ」と付け加えるのを忘れなかった。
ユーモアコント芸人、作曲家、ボリス・ヴィアンと組んだジャズミュージシャン、フランス初のロックンロール歌いでもあった…。彼の守備範囲は広くまた深い。
本アルバム、もう100万枚を超えるセールスを記録しているという。それもうなずける。
アルバム発売に際し、その歌手としての長く、充実した芸歴全体に対して、アカデミ−・シャルル・クロから名誉賞を贈られたのも、もっともなことだ。
2月16日に行なわれた第16回ヴィクトワール・ド・ラ・ミュジーク各賞の発表で、アンリ・サルヴァドールは年間男性シンガー賞とアルバム賞を授与された。これまた、アルバムの出来栄えから見て当然と言える。
みずみずしい感性の新しい才能たちがこのアルバムに作品を提供している。恐らく、喜び勇んで。
トップに置かれた、カレン・アン・ヅェデール(ツァイデルかな)とバンジャマン・ビオレの作品「こもれびの庭に」。これがこのアルバムの雰囲気、色彩や香り、味わいを決めている。オレンジかグレープフルーツか、いずれにせよ甘味と酸味、少しばかり苦味も混じった柑橘系を想像させる。
続く「眺めのいい部屋」も同じコンビによる作品。前者がポルトガル語、後者が英語で歌われる。ここでは聴けないけれど、フランス語ヴァージョンも素敵だ。
ミッシェル・モドが歌詞を書いた「人生という旅」(3)にはサルヴァドール本人が曲をつけている。直訳すれば「私は見た」となる原題。1917年生まれだから、今年84歳。ショービジネス界の裏表も、恋も、戦争も世界のあちこちも見聞してきた彼が歌うのにふさわしい。しかし、彼は年老いてくたばったりしているわけではない。最後をこうしめくくる。
「この心は囁く/まだ生きるべき夢がたくさんあるのだと」。
アンリ・サルヴァドールの若さの秘密はここにあるのだろう。
曲調から言えば、「万里の長城」(4)が最も「シラキューズ」(「愛の国シラキューズ」という邦題がある)に近いだろう。甘美なバラード。
あの歌詞を書いたのは詩人のベルナール・ディメだった。イタリア南部、シチリア島東南部にあるシラクサ(シラキューズはフランス語読み)に始まり、バビロンの空中庭園、ダライラマの宮殿、フジヤマといった世界中の名所を「見たいものだ」と歌っていた。でもラストは「それらをパリで思い出すために」となっている。全体を通じて一人称で歌われる。
が、G.モラール作詞になるこの「万里の長城」は冒頭から曲想が違う。もはや、一人旅には魅力を感じないのだろう。こう始まる。
「もうこうした旅には行かないよ/行きたくはないのさ/きみが来てくれるなら/出かけるに値するけれどね」。
それから、再び世界の地名が顔を出す。フィリピン、スマトラ、ボルネオ、セイロン、シンガポ−ル、それに九州も…。
彼らの幸せな旅を祈りたい気持ちになってくる。
「回転木馬」(7)は、二人の旅の途中を描いたスケッチだろうか。
「もう一度だけほしいのは/二人での3拍子のタンゴ/雪降る前に 喜びの炎に満ちた/回転木馬のひとまわり」。
トゥーツ・シールマンスのハーモニカが思い描かせる、人生の秋の色…。
面白いのはフランソワーズ・アルディとジャック・デュトロンの息子トマが「マドモワゼル」(10)でデュエットしていること。しかも、フランス・ホット・クラブ五重奏団の頃を思い起こさせるようなレトロなスタイルで。ジャズを介しての若手と大ヴェテランの共演。音楽の自由さが輝く。
さらに面白いことに、次の「悲しみの道化師」(11)の歌詞を書いたアルディとアンリ・サルヴァドールがデュエットしている。王妃のように振る舞う「あなた」の戯れにつき合い、道化師役を演じながら慕ってきたけれど、もはやこれまで。役目を終えて去って行こうとする男の姿が描かれる。
ラストに収められた「愛しておくれ」(13)は誰に向かって歌いかけられたものだろう。
「愛しておくれ/他の男がやって来て/きみが遠く離れて/私に無関心になってしまう前に/愛しておくれ/愛しておくれ」
男である身を忘れて思わず「ええ、ええ、愛してますとも」と声を上げたくなってしまうほど、甘く切ない歌声。
ここまで聴いて来て、さらにこちらの気持ちを優しくまた強く、ぐいとつかんで話さない力量は物凄い。
そして、後姿を見せて去って行くのが見えるかのようなラストで口ずさむのは、片足を引きずりながら歩く様を形容した「クロパン・クロパン」。
作詞はピエール・デュダン。作曲したのはオランピア劇場のかつての支配人、ブリュノ・コカトリクス。全14曲、新旧の才能が出揃って、幕となる。
「お見事」と言う他ない、素敵なアルバムだ。
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