若き日のイヴ・モンタン、シャルル・アズナヴールやジルベール・ベコー、ジョルジュ・ムスタキからフランシス・レイもみな、ピアフが彼らの非凡な才能を認め、世に出られるように後押ししたのだった。
実生活においては桁外れに放埓、奔放で、ほとんど破滅的な恋に何度も身を焦がした女、ピアフ。自らの信念に従って、何者をも恐れず、生きたいように生きて散って行った人生にはすさまじささえ感じる。
ブレーキのきかない機関車のように人生を駆け抜けたピアフの歌にも、人の心をわしづかみにするかのような迫力がこもっている。
アズナヴールは8年間、ピアフの家で過ごしたことがあった。恋多き女だから、二人の間に何かあったのではと勘ぐる向きも多いけれど、どうやら何もなかったというのが実情のようだ。
アズナヴール本人に会って話を聞いたらこう言っていた。
「エディットは私のことを"tu"(テュ=きみ、あんた、おまえといった感じの親しみを込めた言い方)と呼んでいました。でも、私はずっと彼女を"vous"(ヴー=あなた。年長者や社会的地位のある相手に敬意を払いながら使う)と呼んでいたものです」。
その表情からはいまもなお、自分を育ててくれた恩人への深い敬意が感じられた。どう見ても、二人が恋仲だったとは思えなかった。
ピアフ神話はこれからも繰り返し語り継がれていくだろう。そうした“神話”のどれが本当で、どれがそうでないかを自分なりに判断するためにも、これらのシャンソンに耳を傾けておくことは無駄ではないだろう。
無い物ねだりとのそしりを免れ得ないかもしれないけれど、あえてひとつ言わせてもらいたい。
ピアフは1935年からレコーディングを始めている。大歌手となる以前の「栴檀は双葉より芳し」の頃のヴォーカルも何曲か収録できたら、もっと豊かな構成になると思うのはあまりに欲張りだろうか。ただ、その当時のレコード会社はEMIではなかったから、ちょいと話がややこしくなるのは事実だけれども…。