一昨日の夜、長いTV番組を見た。タイトルも長い。『テレビ50年大型企画「生命38億年スペシャル人間とは何だ!?4、脳の奇跡…失われた愛を探す感動の旅」』。古舘伊知郎、養老孟司両氏のトークで進行してゆく人気シリーズの第4弾だ。
解剖学者の養老さんは今年4月に刊行された『バカの壁』(新潮新書)の著者でもある。僕の関わっているジャンルとかけ離れている同氏の本は難しそうだなぁ、とこれまで何となく感じていた。
「わかる」ということはそんなに簡単なことではない。ましてや得意でない分野の事柄ならなおさらだ。分らないことを前に呆然として佇む“バカ”である僕は、書名のインパクトの強さにつられて買ってみた。でも、読んでみたらなるほどと思わされる事柄が書かれている。あのTV番組を見る際にも参考になった。
番組のキーワードは「失われた愛」。素直に泣いたり、笑ったりするという、ごく自然な感情。僕たちが日常生活のなかで忘れかけているそうしたものすべてを「失われた愛」と言い表わしたもののようだ。
古い脳と言われる大脳辺縁系という部分が感情を司ることに注目。感情が生まれ出るメカニズムを科学的に明らかにしようという企画だった。
前頭葉の働きは感情を抑制することで、人間に理性をもたらしたと言われる。番組では、バナナを前にしたチンパンジーに「待て」と命じると、食べたくても手を出さないという実験を見せた。
欲望をコントロールするのが前頭葉というわけだ。脳のなかでもとても重要な部分と言える。一方で拡大する欲望を実現しようとする意志があり、他方ではそれを押しとどめるこの働きがあればこそ、人間はいまの繁栄を築くことができたのだろう。前者がアクセルなら、後者はブレーキに当たると言えるだろうか。どちらかだけでは、きっと困ったことになることは想像できる。
前頭葉だけが大事なのではないことにも触れていた。
扁桃体が危険や好悪を感じ取る役割を演じていることが紹介された。ここに異常をきたすと正常な判断ができなくなる。本来は怖がるはずの蛇をかじる小猿や、ホラー映画を見せても何の反応も見せないアメリカ人男性の姿が画面に登場した。この男性には、他人の表情が何を示しているかを読み取れない。他人の気持ちを察することもできず、それが離婚の原因にもなったという。
好き嫌いで物事を判断してはいけない、とはよく言われることだ。が、この感情を行動の判断基準とすることは必ずしも悪いとは言えないようだ。
養老さんの本『バカの壁』には、僕でも“分る”数学的な表現でこのへんの事情が語られている。「脳内の一次方程式」という項にある。
脳に情報が入って来るのを入力、その情報に対する反応が出力と養老さんは規定する。その時、脳への入力をx、出力をyとすると y=ax という一次方程式で表わせるという。養老さん自身の言葉を借りれば「何らかの入力情報 x に脳の中で a という係数をかけて出てきた結果、反応が y というモデルです」。(同書 p.31)
問題はこの係数 a だ。これを養老さんは「現実の重み」と名づけている。y という何らかの反応があるのだからa が存在する、と見るわけだ。ところがたまに a=0 という人がいる。「この場合は、入力は何を入れても出力はない」。それは、a が何ら行動に影響を及ぼさないということだ。上記のアメリカ人男性にとっては、ホラー映画の映像を見るという入力に対して係数 a がゼロだったということになる。彼の場合は扁桃体に問題があったわけだけれど、健常者の場合、その人にとっては入力された情報が現実として受け止められなかった、ということを示すわけだ。したがって、出力としての y もゼロでしかない。何の反応も行動も見られない、ということだ。
養老さんは具体的な係数 a=ゼロの例を挙げる。「おやじの説教を全然聞かない子供」。「彼に対する説教の中身は a=ゼロになっているから、いくら入力しても行動に影響がない」。(同書 p.34)
これ、僕にも身に覚えがあるのでよく分る。親父、お袋の言うことを聞かないガキだったからなぁ。
それは措くとして、係数 a には好き、嫌いという感情が関わってくる。自分にとって「心地良い=好きなこと」には耳を貸すけれど、「心地良くない=嫌いなこと」は無視してしまう。それは感情で動いているということに他ならないだろう。ビジネスに私情は禁物とは言いながら、好き嫌いの感情をまったく拭い去ることは難しいんじゃないだろうか、実際のところ。
a=ゼロは困りものだけれど、その逆もまた扱いにくい。養老さんによるとそれは a=無限大と表わされる。代表例は原理主義だ、という。
「この場合は、ある情報、信条がその人にとって絶対のものになる」。宗教指導者の言葉や教えが絶対的なものであり、それが人の行動のすべてを支配することになってしまう。
ユダヤ教、キリスト教、イスラム教という宗教を信ずる人々が世界の約3分の2を占めている。いずれも一神教だ。唯一の神しか認めない。いまイラクで起きていることは、イスラム教とキリスト教という二つの原理主義の衝突と見ることができる。どちらかが他を倒すまで戦うなんてやめてほしいものだが…。そのことの愚をサルヴァトーレ・アダモが「摩天楼」《Gratte-ciel》というシャンソンのなかで歌っていたのを思い出す。
原理主義を信奉する人たちには、前頭葉をしっかり働かせてほしいところだ。
番組では個性豊かな天才たちも紹介された。サヴァン症候群と呼ばれる人たちは、驚くべき記憶力の持ち主だ。 アメリカ・ユタ州に住む男性キム・ピークさんは映画『レインマン』のモデルになった人物。彼の頭には8000冊分の本の中身がすべて記憶されているという。濫読、卒読、積読を得意技とする僕など恥じ入るばかりだ。
また、感動的だったのはアマゾンに住む先住民ヤノマミ族の暮らしぶりだ。
「ヤノマミ」とは彼らの言葉で「人間そのもの」を意味するそうだ。僕たちのような文明生活を営む者を、彼らは「ナブ」すなわち「人間の反対」あるいは「人間以下」と呼ぶのだという。その暮らしを画面で見るうちに「そうかもしれないな」とちょっと思った。
村人全員がシャボノと呼ばれる円形の巨大な集合住宅に住む。狩りや採集で暮らしている。彼らは天衣無縫とも言うべき生き方を見せてくれる。大人が泥を互いの身体にこすりつけ合って戯れる。川に行ってその泥を落とすのだが、たちまち水かけ遊びが始まってしまう。老若男女お構いなし。何とも無邪気。羨ましいほどだ。見ているだけでこちらも楽しくなってくる。
女優・広瀬久実がこのヤノマミ族を訪ね、2週間余り生活を共にする。彼女が具合悪くなった時、ヤノマミの人たちはみんなで心配してくれる。
祭りもみんなで大いに楽しむ。が、終幕になると、先頃死んだ子供を思って全員で号泣する。
何て人間的なんだろう。ストレートに感情を表わしていながら、決して他人の気分を害することがない。都会ではこうしたことは失われてしまって久しい。
番組は感情を司る脳の働きををつぶさに検討しながら、心の問題を提示していった。冷静で理性的な行動は尊重しなければならない。それと同時に、感情豊かな心の生活も大切だな、と改めて考えさせられた。
脳を見つめることは、僕にとっては脳を心で見ることのようにも思えた。