またもや楽しい土曜日の夕べを過ごした。
一昨日13日は、銀座産経学園での講座「シャンソンのベル・エポック」の日。本年の最終講義となった。1年が過ぎるのがほんと早いなぁ、とつくづく思う。
この講座では、パトリック・ブリュエルが2002年に発表したアルバム『アントゥル=ドゥー』《Entre-deux》で取り上げているシャンソンの数々を、オリジナルの歌詞のヴァージョンと聴き比べることを続けている。1回につき1曲ずつ、ゆっくりと時間をかけて味わってゆく。
今月のテーマは「モンマルトルの丘」《La complainte de la Butte》。コラ・ヴォケールの名唱で知られるこの曲についてあれこれと解説を加えた。
頼もしい助っ人が力添えしてくれた。フランス語教師をされている前原克彦さんだ。東京ヴァリエテ倶楽部の会員で、かっち君というハンドルネームで積極的に発言している。
前原さんはパソコンを持参して銀座産経学園にあるTV受像機につなぎ、興味深いDVDをみんなで見られるように配慮してくださった。おかげでパトリック・ブリュエルが昨年にオランピア劇場で行なった公演『アントゥル=ドゥー』のライヴを楽しむことができた。
「モンマルトルの丘」が挿入されたジャン・ルノワール監督映画『フレンチ・カンカン』まで用意してくださったのが、前原さんの配慮が細やかなところ。そう、あのキャバレ、ムーラン・ルージュの改装を物語るあの映画のなかで歌われたのが「モンマルトルの丘」だった。作詞はジャン・ルノワール自身、作曲したのはジョルジュ・ヴァン・パリス。
ジャン・ギャバン扮するアンリ・ダングラール、フランソワーズ・アルヌールが可憐に演じるニニらに交じって、晴れて再開店したムーラン・ルージュで歌うメキシコ人女性歌手ローラ・デ・カストロ役のマリア・フェリックスが、このシャンソンを歌う。
コラ・ヴォケールはこの女優に声だけを貸したのだった。コラの面差しを知っていてこのシーンを観ると、何となくちぐはぐな思いがする。どうしてこんなことになったんだろう。『コラ・ヴォケール』という本の著者、ジル・コスタはその事情をこう書き記している。
ルノワール監督と作曲家ジョルジュ・ヴァン・パリスはコラを思い浮かべながらこのコンプラント(オリジナル・タイトルは「コンプラント・ド・ラ・ビュット」。コンプラントというのは嘆き歌のこと)を書いた。彼らはコラにこの歌をレコーディングさせた。
が、当時のプロデューサーは聞く耳を持たず、蔭歌として南米出身の女性歌手かエディット・ピアフの声を使うことを望んだ。当時スターだったピアフが顔を出さずに歌うことなどはあり得ない、とヴァン・パリスはプロデューサーに説明した。その結果、コラが名前も出さずに声だけをあのイタリア女優に貸すことになった、という。(Gilles Costaz《Cora Vaucaire》ed. Seghers p.21)。
著者のジル・コスタも書いているけれど、モンマルトルを歌うのになんでまた南米出身の女性歌手を起用しようと思ったんだろうか、そのプロデューサーは。エディット・ピアフもまず首を縦に振るとも思えないなぁ。
まぁ、そんないきさつはあったけれど、コラの素晴らしい歌唱は残ることになった。
講義ではパトリック・ブリュエルのオランピア公演の様子も流した。いろいろな年齢層の観客が、パトリックによって次々に歌われるかつての名作シャンソンに酔いしれる姿が映し出される。受講生の方たちにも、時代を超えて歌い継がれるシャンソン・フランセーズの良さを肌で感じていただけたのではないかと思う。
いつものように脱線を繰り返しながら、講座は進んだ。コラの歌を聴きながら、そっと原詞を口ずさんでいる方も何名かいらした。そうした前向きの姿勢が何より嬉しい。そこで、僕が原詞を1行ずつ読み上げ、みんなでその後をついて発音して貰った。さらにもう一度コラのCDをかけて、彼女の歌に乗せるようにして同時に歌った。素敵なシャンソンを聴いているうちに自然と歌いたくなるなんて、講師としてはこの上ない喜びだ。素晴らしい受講生に恵まれたものだ、と実感する瞬間だ。
本年最後の講座がめでたく終わった。その後は「さくらんぼの会」の忘年会が待っていた。今年の会場は新橋のアダムス。早瀬かず椰さんが経営する、一本芯の通ったシャンソンのライヴハウスだ。
三々五々、銀座産経学園から歩いてアダムスへ。続々と人が集まってきて、比較的広い店内が狭く感じられるほどになる。講座にはお顔を見せていただけないけれど、この機会にわざわざ足を運んでくださる方々もいらっしゃる。嬉しいことだ。僕の教室にいい思い出をお持ちでなかったらきっと、出かけてやろうなんて思われないだろうから。
いつものように亀井繁男さん、安井高明さんが幹事を務めてくださった。三越文化センターで始まったこの講座第1回目からの受講生だ。太田光弘さん、佐藤かよ子さんも第1期生で、お二人とも忘年会に参加してくださったのがまた嬉しい。乾杯に続いて、それぞれの近況報告をいただいた。教室で会えないみなさんもお元気で、人生を楽しんでいらっしゃることが分る。
銀座産経学園でのもうひとつの講座「アン・フランセ(フランス語で)」の受講生の方たちも駆けつけてくださった。こちらはフランス語で歌おう、という趣旨の講座で、第三書房から発売された僕の本『シャンソンで覚えるフランス語―1』をテキストに使っている。小川さん、武者さん、板垣さん、富岡さん、砂生さんといた方たちのお顔を見ることができたのも嬉しかった。
どちらの講座も僕にとってはやりがいのある、大切なものだ。通い続けてくださるみなさんに改めて心からお礼を申し上げたい。
これまではこういう会の場合、僕はどこかのテーブルに着いて会の終わるまでそこを離れることはなかった。でも、それだと一部の人たちとしか話ができなくなってしまう。極端な話、「こんばんは」と「さようなら」しか言葉を交わさなかった、なんていう場合だってある。
せっかくおいでいただいたのに、それでは申し訳ない。そう思って、自分から各テーブルにお邪魔してみなさんと話そうと決めた。
午後7時を過ぎた頃から、参加者のみなさんのショータイムが始まる。年々、歌う人が増えているようだ。ピアニストの上北進さんが伴奏してくださり、それぞれに得意のレパートリーを披露。笑顔、声援、拍手喝采…。楽しさが一段と増す。
中野仁子さんは1週間前の安井さんの歓零季パーティーの時と同じく、アダモの「橋の向こう側」を歌った。訳詞はこれまたわが講座の受講生、深味純子さん。日傘順子さんが歌ってくださったのは「毛皮のマリー」。アップテンポの曲が楽しさをさらにアップしてくれた。
それにしても、どなたも場慣れした感じでマイクを握っていらした。僕の講座を休んでどこかで歌の練習にはげんでいらっしゃるんじゃないだろうか、なんてチラッと思ったりした。(もちろん、冗談)
歌が出るごとにさらに会は盛り上がっていった。
楽しい時間というものはあっと言う間に過ぎる。何度も体験していることだけれど、今回もまたそれを味わうことになった。始まった会は終わりを迎える。分りきったことではあるけれども、名残惜しい気持ちは抑え難い。
予定時間を少し越えて閉会となる。でも早瀬さんは嫌な顔もせず、笑って許してくれた。来年もまたアダムスで忘年会をすることがその場で決まる。「さくらんぼの会」のいい雰囲気が早瀬さんにも伝わったようだ。
このまま別れてしまうのも何だか寂しいので、二次会に流れることになった。早瀬さんから紹介して貰った中華料理店に行く。焼酎の水割りをやりながら、歓談は続いた。
やがて二次会もはねた。後は帰るだけとなる。その日、僕は母の家に泊めて貰うことになっていた。前原さんのお住まいは神楽坂。母の家のある市ヶ谷薬王寺町からさほど遠くないので、タクシーで一緒に帰った。
せっかくだから母にも会って貰うことにした。まだお祭り気分の余韻に浸っていたい。それにはひとりじゃつまらない。そんな気持ちだった。(前原さんが迷惑じゃなければいいんだけど。そんなこと言っても、もう遅いかな。)
ワインを飲み直しながら話が弾んで、ずいぶん遅い時刻まで引き止めてしまった。午前1時をとっくに過ぎ、前原さんは夜道を帰って行った。建物の1階まで見送りに出た。楽しい一日だったなぁ、ほんとに。幸せな気分で母の家に戻った。