ほっとひと息ついている。仕事が少しずつ形になってきているからだ。
先日記したように、エディット・ピアフのアルバムに解説原稿を東芝EMIに渡した。今年が“シャンソン・フランセーズの貴婦人”ピアフの没後40周年ということもあって、力をこめたつもりだ。発売されたらぜひ手に取っていただきたいと思う。
この記念すべき年に『ピアフ 愛の手紙 あなたのためのあたし』(平凡社)の翻訳を出すことができたのも感慨深い。この本、ある女優の心を動かしたようだ。まだどうなるか分らないけれど、ひょっとしたら来年、この本に基づいたひとり芝居の公演が行なわれるかもしれない、と同社のSさんから連絡を受けている。楽しみな話だ。
第三書房の編集長Hさんとのやり取りが続いている。『シャンソンで覚えるフランス語』第2集の編集作業が追い込みの段階だ。本のなかで取り上げた歌手たちの写真が揃った。あと1枚、「恋は水色」を歌ったヴィッキー・レアンドロスの写真がユニバーサル・ミュージックから届くのを待っている。これが来れば、いよいよ印刷にまわされる。
余談をひとつ。このヴィッキー、日本では噂を耳にしなくなって久しいけれども、いまも現役シンガーとしてインターナショナルな活躍しているのだ。立派なサイトだってある。(http://www.vickyleandros.com/)英語、ドイツ語、フランス語、ギリシア語で読めるようになっている。バイオグラフィーによると生年が僕と一緒。そうか、同い年だったのか。頑張ってほしい。
雑誌ふらんす(白水社)の見本誌が届いた。巻頭のリレー・エッセイ「フランス語と私」に書くようにと言われたので、勉強し始めた頃の思い出を綴ってみた。積極的にフランス語を学ぶ気持ちになったのは、林田遼右先生がコラ・ヴォケールとイヴ・モンタンの「枯葉」を聴かせてくださったのがきっかけだった。そのことを書いてみた。そう、僕にとってはフランス語との出会いはシャンソンとのそれでもあったのだった。
同誌の表3(誌面の最終ページの対向ページ)に第三書房の広告が掲載されている。そこに『シャンソンで覚えるフランス語-2』も並んでいるのを見て、身の引き締まる思いに駆られた。まだゲラ刷りが手元にあるので、念には念を入れてチェックを繰り返す。
11月に友人のエリックから貰ったシャルル・アズナヴールの自伝《Le temps des avants》(ed.Flammarion)を読み進めている。表紙に出ている彼の笑顔が実にいい。酸いも甘いも噛み分けた、という表現がふさわしいように思える。
トルコ人によるアルメニア人虐殺を逃れてフランスに落ち着いた彼の両親の苦労が語られる。映画『アララト』の凄惨な殺戮シーンが脳裡に浮かぶ。あの映画にアズナヴール自身が出ていたことの意味は深い。
アズナヴールもジルベール・ベコーなどとともに、エディット・ピアフによって引き立てられたアーティストのひとりだ。
ピアフとの出会いからアメリカ行きのことについて書かれた箇所をいま読んでいるところだ。
友人のピエール・ロッシュがピアノを弾きながらアズナヴールと歌う、というスタイルで1941年に売り出したロッシュとアズナヴール。かつてシャルル・トレネがジョニー・エスと組んでシャルルとジョニーと称したのをヒントにしたようだ。いまでは珍しくなったデュエティストという二人組だ。
ピアフと出会った時の情景が細かく描かれている。ワシントン劇場でのラジオの公開放送があった時のこと。シャルル・トレネとエディット・ピアフが、楽譜出版業を経営するラウル・ブルトンとともに最前列に陣取った。アズナヴールが作詞し、ロッシュが作曲した「特急出発」"Depart express"、「破れた帽子」"Le feutre taupe"などを歌った。アップテンポでジャジーな曲調のシャンソンだ。放送が終わったら自分のもとへ来るように、との指示を受ける。ジャズのフィーリングをひと足先に自分のものとしていたトレネは二人を祝福した。また、ブルトンは事務所を訪れるように、と告げた。
ピアフは翌日、自宅にアズナヴールを招いた。相棒のピエール・ロッシュのことには触れなかったという。このアルメニア人の血を引く小柄な男の方に、ピアフはより恵まれた才能を見出していたということなんだろうか。
ロッシュとともにピアフ宅を訪れ、アズナヴールは突然にダンスすることになる。マルグリット・モノが弾くピアノに合わせて踊ったのは3拍子だったという。ジャヴァとは書いていないけれど、その可能性はある。どう考えても優雅なワルツではないだろうから。
その次の日もアズナヴールはピアフに呼ばれ、「あなたたちにチャンスをあげるわ」と言われる。その頃、彼女は9人からなる男声コーラスグループ、レ・コンパニオン・ド・ラ・シャンソンと一緒に活動し、懸命に後押ししていたのだ。
ピアフの提案はこうだった。ミュージックホールの伝統に従って、第1部をコンパニオンが、第2部をピアフが務めることになっていた。ロッシュとアズナヴールは幕開きの時に出演するように、というのだ。さらに、第2部の開演に先立ってアズナヴールがピアフをステージに呼び込むように、と。彼は尋ねる。「何を言えばいいんですか」。「簡単なことよ」とピアフ。それはこんな台詞だった。
唯一の名前
そして この名前のなかに
すべてのシャンソンがあります
エディット・ピアフ
Un seul nom
Et dans ce nom
Toute la chanson
Edith Piaf!!
(同書 p.122)
来年4月16日から5月22日まで、アズナヴールはパレ・デ・コングレでリサイタルを開く。千秋楽は80歳の誕生日に当たっている。いまや4000名を超える大きなホールを満杯にする偉大な歌手だけれど、エディット・ピアフと知り合った頃にはこうした役目もこなしていたのだった。キャリアの初めの時期にこうした下積みを経験しておくのも大事なことだと思う。
ピアフが熱烈に愛したボクシングの世界チャンピオン、マルセル・セルダンとのエピソードも出ている。戯れにグラブを合わせたというのだ。もちろん相手は本気にはしなかったけれど。
読むほどに、知るほどにピアフってすごいなぁと感じる。また、時には暴君のように振る舞ったといわれる彼女に学び、自分の道を切り開いていったアズナヴールの意志の強さにも心打たれるものがある。
いろいろと楽しい昔話や芸談を読むことができるこの本、翻訳したいなぁ。どこか出版を引き受けていただけないものでしょうか。年が明けたら売り込みに歩いてみようかな。

Aznavour《Le Temps des avants》
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♪Petites annonces♪
『ピアフ 愛の手紙 あなたのためのあたし』(平凡社)からの言葉が多く引用されるTV番組オンエアのお知らせ。
「古今東西の恋文を21世紀の東京で読む 恋文の世紀〜あの人にこんな恋があった〜」エディット・ピアフ〜最愛のボクサーに捧げた愛の讃歌
[出演]中村獅童/真矢みき/塚本耕二
[ナレーション]黒田あゆみ
[放送日時]2003年12月31日(水)9h30〜9h55 (NHK総合テレビ)
2004年1月6日(火)23h30〜23h55 (NHK BS2)