9日午後7時から、清荒神駅前にある宝塚ベガホールで行なわれるニューイヤーシャンソンコンサート「人々の愛を歌う」で司会を引き受けた。早朝に家を出る。新幹線のぞみ号の座席指定をするため、早めに東京駅に向かったのだ。昼の12時30分に楽屋入りということなので、できれば8時03分の電車に乗りたかった。連休を前にしていたから、座席が取れないなんていうケースも懸念された。が、あっさりとお目当ての列車に乗れることになった。これでひと安心。後は黙っていても大阪まで連れて行ってくれる。
のぞみ105号は定刻どおり順調に滑り出した。11号車の13番B席が僕のシート。車両の最後尾、二人がけの通路側だ。すでに男性が席に着いていた。軽く挨拶をして自分の席に腰を下ろす。
と、その男性は落ち着きがない態度を示し始めた。まず、僕がいる側、すなわち彼の右肩をせわしなく上げ下げする。危うくこちらの左頬を殴られそうな勢いだ。さらに咳き込んだり、雑誌のページを音を立ててめくって読んだり。やがてコンピュータを取り出して何か始めた。ついには携帯電話のベルが鳴る。「ああ、いいよ」と答えている。「いま、電話して大丈夫?」と相手に尋ねられてのことだろう。顧客から仕事の発注を受けているようだった。
おいおい、待ってくれよ。新幹線では携帯電話はデッキでかけることになっているはずじゃないか。ところがその男、話をやめない。次々にかかってくる電話。何本目かのコールの後、いくらなんでも僕に迷惑だと思ったか、席を立ってデッキに出て行った。コンピュータはテーブルの上に置いたままだ。やれやれ、これでひと息つける。彼はついに新大阪までデッキで携帯電話にしがみついていた。
いま、新幹線の車内にはBGMとして「いい日旅立ち」が流れている。あの男のために、もう少しで「いい日台無し」になってしまうところだった。
無事に清荒神に着く。宝塚ベガホールは踏切を渡ってすぐそこだ。2年前にもここで仕事をしたことがある。空調設備などを改装するためしばらく休館していたそうだ。
今回の催しは「阪神・淡路大震災周年記念事業」の一環。チケットはほとんど完売状態だと担当のMさんから聞いて嬉しくなる。
ベガホールはなかなかお洒落な造りだ。建物全体がレンガで覆われている。ステージ正面の上部にはパイプオルガンが据えつけられ、その両側にステンドグラス。ヨーロッパの教会みたいな雰囲気だ。
ステージの正面奥には通常、ホリゾントと呼ばれる白いスクリーン状のものが備えつけられているのだけれど、ここはレンガをむき出しにしてある。だから、ステージ上に置いたスポットからの光が思いがけない、微妙な味わいを見せる。
出演者は第1部が松本かずこさん(「シェルブールの雨傘」他)、星奈佐和子さん(「もしも貴方に逢えずにいたら」他)、森下美智子さん「ラストダンスは私と」他)、川島弘さん(「桜んぼの実る頃」他)。第2部には大原ますみさん(「聞かせてよ愛の言葉を」他)、田代美代子さん(「愛のめぐみ」他)、深緑夏代さん(「セーヌの花」他)だった。
大原さんは「私とあなたの街」というオリジナル曲も歌った。ネクスト・リンさん作詞、マイク・ケントさん作曲になる歌で、震災の被害を受けた神戸への温かいまなざしが感じられる。瓦礫のなかから生まれた、命の輝きのある歌だ。作詞・作曲者ともにプロではないけれど、心にしみる作品を生み出した。コンサート会場に来ていらしたと聞いている。
田代さんはミッシェル・サルドゥーの"Cette chanson-la"を日本語訳詞で「歌おう愛の歓びを」として披露。昨年の「パリ祭」でも取り上げられた新しいシャンソンだ。
演奏は児玉昌樹トイボックス。ムーミンこと児玉昌樹さん(ギター)、小原せいじさん(テナーサックス、フルート、クラリネット)、村松泰治さん(ベース)、坂下文野さん(ピアノ)といったメンバー。ムーミン、小原さんとは何度も顔を合わせているから心安い。
第1部、森下さんが「愛遥かに」を歌った後にステージに出た。短時間のうちに自分をアピールしなければならない。ふと、こんなキャッチフレーズを思いついた。「司会もできるシャンソン評論家・大野修平です」。抑えたような笑い声が聞こえた。手短に僕の立場を伝えることができたように思う。これからこいつを使おうかな。
9時頃に滞りなくコンサートは終了。後は打上げへ。会場は三吉という寿司屋だった。陽気で気前のいいご主人の名前のようだ。刺身が並び、ふぐ鍋の用意がしてあった。こちらとしてはのんびり飲んだり食べたりしたいところだけれど、店にも営業時間というものがある。11時過ぎには出なければならない。宴の始まる時刻が遅いのにおしまいは早いのがこうした仕事の辛いところ。
でも、致し方ない。京都へ帰る小原さんや大阪まで戻る坂下さん、深緑さんご一行様を見送ってホテルへ。あの男のために行きの新幹線なかで飲むことができなかったミニボトルのワインを部屋で飲んだ。
翌10日は銀座産経学園での講座があった。爽やかに目覚め、シャワーを浴びる。
気分一新して部屋を後にした。
午後2時30分には東京に着いた。
この日の授業では「初めてのランデヴー」"Premier rendez-vous"というシャンソンをみんなで聴くことになっていた。ダニエル・ダリューが1941年に歌ったもので、パトリック・ブリュエルがカヴァーしている。その両者を聴き比べるのが主眼だ。かっちさんがまたパソコンを持ち込んでくださったので、ブリュエルのオランピア劇場公演のDVDを見ることができた。(ありがとう、かっちさん)
無事に講座を終えることができた。授業の後に控えている恒例の飲み会に参加した。やはり、長年おつき合いいただいている方々に交じってグラスを傾けるのは楽しいし、ほっとする。
駒込にあるシャンソンの店トワ・エ・モワが年内で閉店することが話題になった。そう言えば、店主の綿引和春さんから届いた年賀状にそう書いてあった。よし、いまから行って真意を確かめよう。そんな風に簡単に盛り上がり、タクシーに分乗してトワ・エ・モワへ。総勢10人ほどもいたろうか。いつも静かな店なので、僕たちの突然の来訪にびっくりしていた。
綿引さんはあまり細かいことはおっしゃらなかったが、どうやら大家さんの都合で建て替えになることが決まったという。それを機に店をたたむことを決めたらしい。だいぶ飲んでいのでディテイルを聴き逃しているかもしれない。もう一度ちゃんと聴き直しに行こうと思っている。
こうして僕の2004年は始まった。まずは順調な滑り出しと言える。この調子で楽しみながらひとつひとつをこなしていきたい。