♪「シャンソンを貴方に…」〜シャンソン情報TV番組オンエアのご案内〜
東京メトロポリタンテレビジョン(MXTV)・群馬テレビ(GTV)において毎回多彩なゲストをお迎えして見ごたえのある30分番組となっています。
   
☆TOKYO MXTV
☆群馬テレビ
[特集]リーヌ・ルノー [出演]芦野宏他 [ゲスト]モンデンモモ
 1月8日(木)21h00〜21h30
 1月15日(木)21h00〜21h30(再放送)
 1月14日(水)22h00〜22h30
 1月21日(水)22h00〜22h30(再放送)
[特集]シャルル・トレネ [出演]芦野宏他 [ゲスト]堀内環
 2月5日(木)21h00〜21h30
 2月14日(木)21h00〜21h30(再放送)
 2月11日(水)22h00〜22h30
 2月18日(水)22h00〜22h30(再放送)
[特集]グロリア・ラッソ [出演]芦野宏他 [ゲスト]石井好子
 3月4日(木)21h00〜21h30
 3月18日(木)21h00〜21h30(再放送)
   3月10日(水)22h00〜22h30
 3月17日(水)22h00〜22h30(再放送)
この「修平のひとりごと」は、2ヶ月ごとに削除いたしますので、必要な方はご自分で保存してください。(管理人)
バックナンバー→  11月 25日〜  12月 1日〜 8日〜 15日〜 22日〜  1月 5日〜

牛の受難、再び  1月16日(金) 快晴

 

 感染症の不安が広がっている。新型肺炎SARS(Severe Acute Respiratory Syndrome 重症急性呼吸器症候群)感染が疑われる男性が12日、中国で報告された。今年の冬では3例目とされる。またしても猛威を振るわなければいいが。
 コイヘルペス、日本では79年ぶりといわれるトリインフルエンザ、そしてアメリカで見つかったBSE(Bovine Spongiform Encephalopathy 牛海綿状脳症)感染牛…。動物のみならず人間をも巻き込む「人畜共通感染症」という点が、不安をさらに掻き立てる。
 中国のハクビシンン、山口県のニワトリなど、“処分”という名目で殺された動物たちが哀れだ。

 アメリカから輸入されていた安い牛肉がいまストップしている。高くてうまいブランド牛肉なら日本国内に数々ある。しかし、そうした肉は値段が張るからそうしょっちゅう食べるわけにはいかない。牛丼は安価なバラ肉や切り落とし肉を原料としながら、独特な味つけを施すことによってファストフードとして多くの人々に親しまれてきた、庶民の味方だった。
 その牛丼が危機に瀕している。このまま輸入禁止が続けば2月には在庫が底をつき、牛丼を売ることができなくなるという。牛丼チェーン各店にとってはまさに死活問題だ。

 日本は3年前のBSE発生の教訓を生かして、食用とされるすべての肉牛の検査が実施されている。ところが、アメリカではそうではないという。あまりにも肉牛の数が多過ぎていちいち検査なんかやってられるか、ということなのかもしれない。売るだけ売って安全面はルーズというのは、商道徳としてはどうなんでしょうかねぇ。

 近頃はあまり食べていないけれど、学生時代や仕事を始めたばかりの頃、牛丼にはお世話になった思い出がある。豊かではない懐具合にとっては安いのが何よりだった。
 大学生の頃、春休みや夏休みになると神田神保町にあったボヌールという喫茶店でアルバイトをした。「幸せ」というフランス語の店名が縁起がいいな、とも思った。さらに、BGMとしてャンソン・フランセーズのレコードをひっきりなしにかけているので、仕事をしながらフランス語に耳を慣らすこともでき、一石二鳥だった。

 ボヌールは神保町交差点に近い白山通りに面して店を構えていた。四ツ谷本店、池袋支店と兄弟店だった。面白い建物で、奥に行くほど狭くなっていた。ちょうどカットケーキみたいな感じだ。どんづまりにトイレがあって、その前に階段があった。それを上がって、2階で着替えたり休憩するようになっていたのだ。

 左隣にくるみというレストランがあった。コメディアンの三波伸介にそっくりのマスターがよくコーヒーを飲みに来たものだった。また、その数軒先に東西堂書店というエロ系の本や雑誌を取り扱う書店があり、そこの社長も仕事相手とよくやって来て大声で話していた。
 ボヌールの経営者は林さんという20代後半の男性。年老いた母親もカウンターに立って働いていた。二人とも親切に接してくれたのを覚えている。

 神保町には明治大学や日大、各種専門学校などに通う学生が多い。そうした学生相手のうまくて安い食べ物屋が軒を並べているのは昔もいまも変わらない。
 さぶちゃんという店は半チャンラーメンの元祖だという話だった。いもやは天ぷらが名物で、店の外までうまそうな油の匂いが漂う。当時は札幌ラーメンが全盛で、何軒かが競い合っていた。

 ボヌールと通りを挟んで斜め向かい側にあったのが、たつ屋という牛丼専門店。あの店では「牛めし」と呼んでいたようだ。たしか並盛一杯150円で、ボヌールで出していたコーヒーと同じような値段だった。
 まだ吉野家がいまほどチェーン展開していない時分だったので、僕の牛丼体験はたつ屋の方が先だった。この店の牛丼には小さな焼豆腐が二かけらほど載っているのが嬉しかった。

 アルバイト中、ほとんど毎日のようにたつ屋に通った。「よく飽きないもんだな」と林さんに言われても平気だった。安いのが何よりだったから。神保町は古本屋の街。なるべくお金を節約して、1冊でも多くほしい本を買いたかったのだ。その頃に買った本はいまでも持っている。
 神保町のたつ屋はいつか姿を消した。ボヌールもいまはない。どちらが先に店を閉じたのか定かではない。でも、牛めしの味とコーヒーの香りはいまもよく覚えている。

 やがて、焼豆腐はついてないけれど、紅生姜を好きなだけ自分で取ることができる吉野家が台頭してくる。
 新橋駅のすぐそばにも、かめちゃぼという名の牛丼屋があった。一度しか入ったことはないけれど、その前を通る度に変な名前だなぁ、と思っていた。そこの前にあったカレー専門店から流れて来る刺激的な香りの誘惑に負けることが多かったのだ。

 先日、ネットの大海をさまよっていて、フリー百科事典『ウィキペディア (Wikipedia) 』 (http://ja.wikipedia.org/)にたどり着いた。そこに「カメチャブ」という記述があるのを見つけた。文明開化と言われた明治時代、牛鍋の残りを飯にかけて犬に食べさせていたのを「カメチャブ」と言ったのだそうだ。「ちなみに犬のことを「カメ」と呼ぶのは、居留外国人が犬に"come(here)"と呼ぶのを聞いたことによる」とも出ている。
 「カメチャブ」から「かめちゃぼ」が生まれたんだろうなぁ。後者の方が可愛らしい感じがする。

 熱心な牛丼ファンではないけれど、「うまい、はやい、やすい」はいつの世でも庶民にはありがたい。安心して牛丼が食べられる世のなかであってほしいと願う。

   


   

思い出の景色  1月15日(木)

 

 昨日の夕刊(読売新聞)で夢の広がるような記事を読んだ。毎週水曜日に掲載される「エコロジー」という欄にあった「お江戸の景観 地図から再現」と題するものだ。
 東京大学大学院工学系研究科の清水英範教授たちが江戸の町並みをコンピュータで再現したという内容。1843年刊の「天保御江戸絵図」を基にしたそうだ。さらに明治時代になってからの実測図を江戸の地図に重ねて、よりリアルな画像を得たことが書かれている。

 その成果を示す写真が記事とともに掲載されている。ひとつは江戸橋から日本橋方向を見た景観で、彼方に富士山が見える。もうひとつは霞ヶ関の外務省脇にある潮見坂。どちらの絵にも現在の同じ場所がどうなっているかを示す写真が添えられている。

 日本橋。橋の真上を通る高速道路が写し出されている。この橋の真んなかには「京都市503km、大阪市550km、鹿児島市1467km、青森市736km、札幌市1056km」などと、ここを起点とした里程を表わす道路元標がある。デザインも素晴らしい大事な橋なのに、東京オリンピック開催に合わせて急造された高速道路が歴史をふさいでしまっている。まったく、行政の神経はどうなっているんだろうか。
 もう一方の潮見坂の写真。官庁街を下る坂の先には江戸前の海が広がっていたはずだけれど、こちらもいま見えるのはビルの群ばかり。辛うじて街路樹が目を休めてくれるかのようだ。

 清水教授が所属する東京大学大学院工学系研究科・地域/情報研究室のサイトhttp://planner.t.u-tokyo.ac.jp/を覗いてみた。研究テーマのひとつに「都市原景観のコンピュータ・ビジュアリゼーション〜江戸・明治時代の東京」が据えられていることが分った。こんな記述がある。
「古地図や古写真等の史料,そしてGISやCGの技術を援用し,江戸時代から明治時代を中心に,当時の地形や景観をコンピュータ上にビジュアルに再現するための方法論を構築する」。
 この方針に沿って作られた画像が新聞記事で発表されたわけだ。これらの画像はいずれインターネットで公開されるという。現代を生きる僕たちには永遠に失われてしまった江戸の景観を早く見たいものだ。

 富士山の見える場所がかつての江戸のあちこちにあった。いまも富士見町、富士見坂といった町名や坂の名前が残っていることからもそれが分る。ふと興味が湧いて、「東京の富士見坂」(http://www.t3.rim.or.jp/~kuri/fujimi/ )というサイトを訪ねてみた。現場の写真もあって楽しめる。

 そのなかのいくつかは僕自身も実際に知っている。
 千代田区九段、駿河台、文京区大塚と豊島区高田の富士見坂だ。いずれも子供の頃の思い出と結びついている。その場に立った時の陽射しの温かさや風の強さまでが脳裡に浮かび、懐かしい。

 九段の富士見坂は法政大学や靖国神社の裏手にある。生まれ育った市ヶ谷の地からも歩いて行けた。ひっそりしたたたずまいの、狭い坂だ。
 駿河台の富士見坂は神田古本街のすぐ近くだ。御茶ノ水駅から駿河台下に下る途中にある。ジェーン・バーキンやアンリ・サルヴァドールを日本に呼んだカンバセーションもこの坂近くに会社を構えている。

 大塚の富士見坂には都電が通っていた。キングレコードのある江戸川橋が起点であり終点でもあった路線で、たしか「20番」という番号を掲げていたように記憶している。(間違っていたらご教示くださいね)上野方面まで行っていた路線だった。
 江戸川橋を発した電車が広くて真っすぐな音羽通りを進むと、突き当たりが護国寺。門前を右折して不忍通りに入る。しばらく行くと上り坂になり、それが富士見坂。上りきると交差点で、停留所名は大塚仲町と言った。いまは大塚3丁目。ここで春日通りと出会う。右に行けば茗荷谷、左に行けば大塚方面だ。
 都電はそのまま直進して坂を下って行く。下りきった所が氷川下。ここからまた上り坂になる。母方の祖父の家があった駕籠町はその坂を上った所にあった。
 こうしてみると、東京にはほんとに坂が多いなぁ。

 大塚3丁目に戻ろう。ここから目路の彼方に富士山が見えたのだ。幼い日の記憶の片隅にもそのシルエットが残っている。
 いまはこの付近からは富士山が見えにくくなっていることが、「東京の富士見坂」サイトで報告されている。交差点に立って護国寺方面を振り返った方向に見えた富士山を遮っているのは、豊島区高田と文京区目白台の境にあるもうひとつの富士見坂上に建設中の高層ビルだというからちょいと皮肉な感じがする。
 東京は土地が狭いから、建物を高くして効率の良さを追求しなければならないのは分る。しかし、こうしたかけがえのない景観が二度と僕たちの手元に戻ってこないのはやはり寂しい。

 かつての江戸は建物の高さが揃っていた。それがある種の美を生み出していたことは容易に想像できる。パリの街もまたそうだ。建物は7階または8階くらいの高さで揃えられている。それに幅の広い道路。統一された外観が、落ち着いた街の雰囲気を作り出す。
 そうした企図もなく無秩序に増殖してきた東京。いまさら昔に返ることもできないなら、せめて思い出のなかの景色を大切に語り継いでいきたいものだ。先に触れた清水教授らが実現した画像を通して、さらに遠い江戸の姿が見られる時を心待ちにしたい。

   


   

右向き、左向き  1月14日(水)晴れ

 

 これもバグの一種と言えば言えるのだろうか。マイクロソフトがまた人騒がせなことをやっていた。パソコン自体を危険にさらす可能性のあるバグというわけじゃないけれど、同社は早々と手を打っている。
 "Bookshelf Symbol 7"というフォントのなかに、こともあろうにナチスのカギ十字が含まれていたというのだ。

 何はともあれ、自分のOSにもそいつが入っているかどうか調べてみた。
 "Windows"フォルダの下位にある"Fonts"のなかに、たしかに"Bookshelf Symbol 7"がある。それを開く。「ドル」「ハート」「四分音符」など、いろいろな記号類が並んでいる。イスラエルの国旗にも描かれている「ダヴィデの星」もある。第二次世界大戦中にユダヤ人を迫害、殺戮したナチスのシンボルであるカギ十字が一緒に登録されているとしたら、悪い冗談と言われても仕方ないだろう。
 僕のフォントのリストにはカギ十字は見当たらなかった。どうやら"Office 2003"に入っているらしい。

 スタンダードなOSであるウィンドウズのフォントにナチズムの亡霊が紛れ込んでいたのだ。慌てたマイクロソフトはさっそく、この記号を削除するツールをダウンロードサイトで発表した。ユダヤ人口が多いアメリカのこと、これが発端となって世界的なウィンドウズ不買運動でも起きたら大変なことになる、というわけだろう。

 この事実は12月12日付でロイターが記事にした。そのなかで、マイクロソフト・プロダクトマネージャーのサイモン・マークス氏の「悪意はない」というコメントが紹介されている。ユーザーからの報告で判明したという。出荷前にチェックをしたはずだろうに、うっかり見過ごされてしまったようだ。
 先ほどの"Bookshelf Symbol 7"のリスト上部に、このフォントの著作権者名が掲げられている。"RICOH Co., Ltd."。あのリコーが開発したということなんだろうか。

 地図記号のひとつ、寺を表わすために作られたのなら分る。でも、いまの日常生活ではあまりカギ十字を使う場面はないように思える。寺は左万字、カギ十字は右万字。似てはいるけれど、意味するところは右と左じゃ大違いだ。もっとも、どちらもナチスを想起させると感じる欧米人も多いようだ。右回りか左回りか区別がつかないのかもしれない、僕たち日本人なら間違えようもないのだけれども。これも文化の違いということなのだろう。

 右旋回する万字をナチスが採用したことによって、この記号の不幸が始まった。悪い意味などまるで持っていなかったのに、あの狂信的な組織のありとあらゆる残虐非道な行ないと分かち難く結びついてしまったからだ。
 このマークを見て不快な思いに駆られたり、辛い過去を思い出す人がいる以上、公の場で目に触れることのないように配慮することは必要だと思う。

 万字の名誉のために少し歴史を振り返ってみよう。本来は仏・菩薩の胸・手・足等に現われた吉祥万徳(幸福と功徳)を示すめでたい文字とされる。中国の仏典訳者が万の字の代わりに「卍」を用いた。
 紀元前3000年頃、古代文明の栄えたメソポタミアなどの遺跡からの出土例もあるという。太陽が光を放つ状態を象形化したのが起源とされるようだが、運動のシンボルでもあったらしい。ヒトラーがそこまで考えてナチス運動の党章にしたのかどうかは分らない。しかし、この独裁者と同調者たちの蛮行によって、このめでたいはずの文字が汚され、呪われたものに変えられてしまったことは否定できない。

 カギ十字をめぐるユダヤ人の悲惨な歴史に目を閉じてはなるまい。条件さえ揃えば人間は信じられないほど愚かに、また凶暴になることがあるということも忘れてはならないだろう。決して繰り返してはならない愚行だ。
 しかしもう一方で、万字という文字そのものには何の罪もない、という事実も指摘しておきたい。ちょうど調理器具であるナイフが、悪意ある者によって凶器として使われることがあるのと似ていると言おうか。ナイフそのものが悪いわけではないことは言うまでもない。

 言葉や文字もまた同じことだ。使う側の人間の心の持ちようで人を幸せにもすれば、傷つけることもある。そして言葉や文字は、ある国の歴史や文化と深いつながりを持っている。
 たとえば万字にしても、先に述べたようなプラスの意味があることをこれからも語り伝えていくべきだろう。繰り返すけれど、あの文字を忌避する他の文化圏に属する人たちへの気遣いを忘れてはならない。が、万字が右を向いているか、左を向いているかを気にするあまり、右顧左眄、左顧右眄してばかりというのもいかがなものだろうか。反省すべきはしながら、伝えるべき事柄はしっかり伝えていかなければならないと僕は考える。

   


   

順調な滑り出し  1月13日(火)晴れ

 

 9日午後7時から、清荒神駅前にある宝塚ベガホールで行なわれるニューイヤーシャンソンコンサート「人々の愛を歌う」で司会を引き受けた。早朝に家を出る。新幹線のぞみ号の座席指定をするため、早めに東京駅に向かったのだ。昼の12時30分に楽屋入りということなので、できれば8時03分の電車に乗りたかった。連休を前にしていたから、座席が取れないなんていうケースも懸念された。が、あっさりとお目当ての列車に乗れることになった。これでひと安心。後は黙っていても大阪まで連れて行ってくれる。

 のぞみ105号は定刻どおり順調に滑り出した。11号車の13番B席が僕のシート。車両の最後尾、二人がけの通路側だ。すでに男性が席に着いていた。軽く挨拶をして自分の席に腰を下ろす。
 と、その男性は落ち着きがない態度を示し始めた。まず、僕がいる側、すなわち彼の右肩をせわしなく上げ下げする。危うくこちらの左頬を殴られそうな勢いだ。さらに咳き込んだり、雑誌のページを音を立ててめくって読んだり。やがてコンピュータを取り出して何か始めた。ついには携帯電話のベルが鳴る。「ああ、いいよ」と答えている。「いま、電話して大丈夫?」と相手に尋ねられてのことだろう。顧客から仕事の発注を受けているようだった。

 おいおい、待ってくれよ。新幹線では携帯電話はデッキでかけることになっているはずじゃないか。ところがその男、話をやめない。次々にかかってくる電話。何本目かのコールの後、いくらなんでも僕に迷惑だと思ったか、席を立ってデッキに出て行った。コンピュータはテーブルの上に置いたままだ。やれやれ、これでひと息つける。彼はついに新大阪までデッキで携帯電話にしがみついていた。
 いま、新幹線の車内にはBGMとして「いい日旅立ち」が流れている。あの男のために、もう少しで「いい日台無し」になってしまうところだった。

 無事に清荒神に着く。宝塚ベガホールは踏切を渡ってすぐそこだ。2年前にもここで仕事をしたことがある。空調設備などを改装するためしばらく休館していたそうだ。
 今回の催しは「阪神・淡路大震災周年記念事業」の一環。チケットはほとんど完売状態だと担当のMさんから聞いて嬉しくなる。

 ベガホールはなかなかお洒落な造りだ。建物全体がレンガで覆われている。ステージ正面の上部にはパイプオルガンが据えつけられ、その両側にステンドグラス。ヨーロッパの教会みたいな雰囲気だ。
 ステージの正面奥には通常、ホリゾントと呼ばれる白いスクリーン状のものが備えつけられているのだけれど、ここはレンガをむき出しにしてある。だから、ステージ上に置いたスポットからの光が思いがけない、微妙な味わいを見せる。

 出演者は第1部が松本かずこさん(「シェルブールの雨傘」他)、星奈佐和子さん(「もしも貴方に逢えずにいたら」他)、森下美智子さん「ラストダンスは私と」他)、川島弘さん(「桜んぼの実る頃」他)。第2部には大原ますみさん(「聞かせてよ愛の言葉を」他)、田代美代子さん(「愛のめぐみ」他)、深緑夏代さん(「セーヌの花」他)だった。

 大原さんは「私とあなたの街」というオリジナル曲も歌った。ネクスト・リンさん作詞、マイク・ケントさん作曲になる歌で、震災の被害を受けた神戸への温かいまなざしが感じられる。瓦礫のなかから生まれた、命の輝きのある歌だ。作詞・作曲者ともにプロではないけれど、心にしみる作品を生み出した。コンサート会場に来ていらしたと聞いている。
 田代さんはミッシェル・サルドゥーの"Cette chanson-la"を日本語訳詞で「歌おう愛の歓びを」として披露。昨年の「パリ祭」でも取り上げられた新しいシャンソンだ。

 演奏は児玉昌樹トイボックス。ムーミンこと児玉昌樹さん(ギター)、小原せいじさん(テナーサックス、フルート、クラリネット)、村松泰治さん(ベース)、坂下文野さん(ピアノ)といったメンバー。ムーミン、小原さんとは何度も顔を合わせているから心安い。

 第1部、森下さんが「愛遥かに」を歌った後にステージに出た。短時間のうちに自分をアピールしなければならない。ふと、こんなキャッチフレーズを思いついた。「司会もできるシャンソン評論家・大野修平です」。抑えたような笑い声が聞こえた。手短に僕の立場を伝えることができたように思う。これからこいつを使おうかな。

 9時頃に滞りなくコンサートは終了。後は打上げへ。会場は三吉という寿司屋だった。陽気で気前のいいご主人の名前のようだ。刺身が並び、ふぐ鍋の用意がしてあった。こちらとしてはのんびり飲んだり食べたりしたいところだけれど、店にも営業時間というものがある。11時過ぎには出なければならない。宴の始まる時刻が遅いのにおしまいは早いのがこうした仕事の辛いところ。
 でも、致し方ない。京都へ帰る小原さんや大阪まで戻る坂下さん、深緑さんご一行様を見送ってホテルへ。あの男のために行きの新幹線なかで飲むことができなかったミニボトルのワインを部屋で飲んだ。

 翌10日は銀座産経学園での講座があった。爽やかに目覚め、シャワーを浴びる。
気分一新して部屋を後にした。
 午後2時30分には東京に着いた。
 この日の授業では「初めてのランデヴー」"Premier rendez-vous"というシャンソンをみんなで聴くことになっていた。ダニエル・ダリューが1941年に歌ったもので、パトリック・ブリュエルがカヴァーしている。その両者を聴き比べるのが主眼だ。かっちさんがまたパソコンを持ち込んでくださったので、ブリュエルのオランピア劇場公演のDVDを見ることができた。(ありがとう、かっちさん)

 無事に講座を終えることができた。授業の後に控えている恒例の飲み会に参加した。やはり、長年おつき合いいただいている方々に交じってグラスを傾けるのは楽しいし、ほっとする。
 駒込にあるシャンソンの店トワ・エ・モワが年内で閉店することが話題になった。そう言えば、店主の綿引和春さんから届いた年賀状にそう書いてあった。よし、いまから行って真意を確かめよう。そんな風に簡単に盛り上がり、タクシーに分乗してトワ・エ・モワへ。総勢10人ほどもいたろうか。いつも静かな店なので、僕たちの突然の来訪にびっくりしていた。

 綿引さんはあまり細かいことはおっしゃらなかったが、どうやら大家さんの都合で建て替えになることが決まったという。それを機に店をたたむことを決めたらしい。だいぶ飲んでいのでディテイルを聴き逃しているかもしれない。もう一度ちゃんと聴き直しに行こうと思っている。

 こうして僕の2004年は始まった。まずは順調な滑り出しと言える。この調子で楽しみながらひとつひとつをこなしていきたい。