「幸せなら手をたたこう」という歌が日本中でもてはやされたのは、東京オリンピックが開催された1964年(昭和39年)のことだった。“九ちゃん”の愛称で親しまれた坂本九のヒット曲。いまでもいくつかのTVコマーシャルで使われている。それだけポピュラリティーがある、との判断に基づいてコマーシャル製作側が選んだのだろう。
経済が高度成長期を迎え、オリンピックまで実施できるようになった日本の晴れやかな気分も反映されていたのかもしれない。あのシンプルなメロディーと歌詞はラジオやTVを通じてあっという間に広まった。小学生だった僕も友人たちと「幸せなら手をたたこう」と歌いながら「パン、パン」と手を打ったものだ。(無邪気でしたねぇ〜)
先週月曜日、本の打ち合わせのために平凡社を訪れた時、編集者のSさんが1冊の本をくれた。ベルトラン・ヴェルジュリ著『幸福の小さな哲学』(原章二+岡本健訳)。300ページ余りあるけれど掌にしっくり収まるサイズで、すぐに読みたくなる作りが嬉しい。

著者のベルトラン・ヴェルジュリは1953年生まれというから、僕と同世代。しかし、あちらがすごいのは高等師範学校(エコール・ノルマル)卒業で、高等教育教授資格(アグレガシオン)をお持ちだということ。パリ政治学院などで哲学を教えておいでだ。僕のような浮草稼業とは雲泥の差がある。
まぁ、いまさら彼我の境遇の違いを嘆いたところで仕方ない。瀟洒な本のページを開いてみた。面白い。楽しい気分になってくる。そこで言いたい。「幸せなら本を読もう」。
幸福について考えるなんて面倒だ、アホらしいなんて言わずに、幸せな人ほど読んでみることを薦めたい。自分がいま手にしている幸福がかけがえのないものだということを一層感じられるだろう。いや、これからまたやって来るはずの幸せを取り逃さないために、不幸だと感じている人も読んでみるといい。
哲学者が書いた本ではあるけれど、頭の痛くなるような難しい専門用語が並んでいるわけではない。むしろ、散文詩かエッセイのような趣がある。
モンテーニュ以来、フランスに連綿と受け継がれているモラリストの伝統が全篇にはっきりと見て取れる。生きることを自覚的にとらえようとする態度を持つこと。生きることについてよりよく考えることが、人生を楽しくかつ豊かにするのだ、という信念がそこにある。
この本の根底に流れているのは人生を全面的に、徹底的に肯定せよ、という考えだ。快楽や歓びだけでなく、悲しみや苦痛感でも含めて受け容れること。
どこかで聞いたような台詞だ。そう、古代ローマの詩人ホラティウス(前65〜前8)の言葉だ。"carpe diem" (カルペ ディエム)。「「日を楽しめ」、「現在を楽しめ」、「時機をとらえよ」といった意味だ。本書では「日々を摘めよ」と訳されている。いまこの時を楽しむ。幸福の出発点はそこにある。
哲学書である本書の「結論」にシャンソンのタイトルが用いられているのも楽しい。「幸せになるのに何を待っているのか?」。原題は"Qu'est-ce qu'on attend pour etre heureux" 。1937年に発表された、レイ・ヴァンテュラ楽団のヒット曲で、アンリ・サルヴァドールやパトリック・ブリュエルも歌っている。こんな歌詞が出てくる。
道端に咲くバラの花々を摘もう
なぜ すべてを明日に引き延ばすのか
幸せになるのに何を待っているの
Cueillons tout's les roses du chemin,
Pourquoi tout remettr'a demain
Qu'est-c' qu'on attend pour etre heureux ?
「結論」ではシャルル・トレネにも触れている。彼のシャンソンには幸せがいっぱいだから、いい所に目をつけたと思う。
ベルトラン・ヴェルジュリさんという哲学者、なかなか話の解る御仁のようだ。
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