このところ、昨日この欄で紹介したジャック・プレヴェール訳詩集『ことばたち』のページを開くのが楽しみになっている。訳者の高畑勲さんの訳が読みやすい。また、なぜその訳語を選び取ったかということまで注に記されているので、シャンソン・フランセーズの歌詞対訳を仕事とする僕のような者にとっては大いに参考になる。
数学や物理にはとんと縁のない僕だけれど、先日『アインシュタイン150の言葉』という本のなかで次のような言葉に出会った。
深く探求すればするほど、知らなくてはならないことが見つかる。人間の命が続く限り、常にそうだろうとわたしは思う。
アインシュタイン博士が提唱した相対性理論なんて難しいけれど、この言葉は身にしみてよく解る。「知らなくてはならないこと」が見つかったのだから。
それはほかでもない、プレヴェール訳詩集『ことばたち』のなかにある。
この本に添えられた別冊のなかにある『「枯葉」鑑賞』に、貴重な説明がなされているのに出会い、まさに目から鱗が落ちるような思いがしている。
「枯葉」"Les feuilles mortes" は「ああ、思い出してほしい」と始まるクゥプレと、あの有名なメロディー(ジョゼフ・コスマ作曲)のついたルフラン(繰り返し句)とから成る。多くのシャンソン歌手はなぜか1番のクゥプレしか歌わないのだけれど、2番のクゥプレもある。これを歌ってディスクに残しているのはムルージくらいだろう。
2番の原詞にこういう箇所がある。
Tu etais ma plus douce amie...
Mais je n'ai que faire des regrets
上の行は「きみは最も優しい恋人だった」という意味。高畑さんも「きみはいちばんやさしい恋人だった…」と訳しておられる。
問題は次の行。既訳の例を挙げてみよう。
ぼくはもはや悔いるばかり
(平田文也訳 『プレヴェール詩集』p.99 彌生書房)
いまはただ未練ばかり
(大岡信訳 世界詩人全集『アラゴン エリュアール プレヴェール詩集』所収 p.286 新潮社)
僕も原詞のフランス語をそう読むものだとばかり思っていた。ところが違う、と高畑さんは指摘する。その訳はこうなっている。
だけど ぼくは未練に用はない
まるで正反対じゃないか。高畑さんは注解で詳しくその読解法を述べる。それを読んで、慌ててロベール・ミクロフランス語辞典(Robert Micro)を引いて確認。なるほど、そうだったのか。そこにはこんな例文が出ている。
N'AVOIR QUE FAIRE DE.
Il n'a que faire de toutes ses cravates,
il n'a aucun besoin de toutes ses cravates.
(DE以下を)必要としない。
彼にはどんなネクタイも必要ではない。(続く例文も同じ意味)
同辞典にはもう一例掲げられている。
Je n'ai que faire de votre opinion,
Je m'en passe.
あなたのご意見は必要ありません。
それいりませんよ。
「枯葉」の原詞に戻ろう。高畑さんの訳が正しいことが肯ける。別れた恋人を讃えることはするけれど、過ぎ去った愛への未練は抱かない、とプレヴェールは言いたかったのだ。そこに彼独自の恋愛観がある。
曲調などから、何となく過去を愛惜しているかのように感じ取っていた。テクストを虚心坦懐に読むのは基本中の基本。時には行間を読むという作業も必要だけれど、そもそもテクストを読み違えてしまったら議論もへったっくれもない。高畑さんのおかげで蒙を啓いていただいた。ありがとうございます。
思い込みが解けて仰ぐ空は、また一段と青く澄んで見える。
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