1月20日(金)にはセーヌ右岸を散策した。いわゆる名所めぐりではない。シャンソン・フランセーズゆかりの地を訪ねることにした。キャバレの跡を探してみたのだ。
どうも日本語で言う「キャバレー」だと意味とニュアンスが異なって聞こえてしまうので、念のために確認しておこう。
「キャバレ」"Cabaret" とは、飲食しながら音楽などの演し物を楽しむことのできる施設の総称。
日本ではシャンソンを楽しむ店のことを「シャンソニエ」"Chansonnier" と呼び習わしているけれど、これは本来はシャンソンの作者や歌手、風刺的なモノローグをする人を指す。
歌手としての初めの一歩を踏み出し、観客とのコンタクトの取り方を身に着けるための修行の場がキャバレだった。シャンソン・フランセーズ史上に名を残している多くの歌手やシンガー・ソングライターがキャバレで研鑽を積んだ経験を持っている。彼らはそこで自分自身のスタイルを手に入れていったのだ。
これに対して、飲食することなしにステージを観るための施設がミュージック・ホール。歌だけでなく、アクロバットやダンス、動物芸、漫談、道化師なども披露された。日本流に言えば寄席に当たると言えるだろう。寄席では落語がトリを取るように、ミュージックホールでは歌がトリを務めるのが決まりだった。
いまも残るミュージック・ホールの代表格はオランピア劇場だ。もっとも、現代では他の諸芸を省いて単なるコンサート会場として利用されるようになっているけれども。
今回、ジベール・ジョゼフ書店で興味深い本を1冊手に入れた。ジャン・ラピエール著『パリのシャンソン』Jean Lapierre 《La chanson de Paris》(Aumage editions, 2005)。セーヌ右岸、左岸に存在したキャバレについて書かれた本だ。
写真や図版はひとつも入っていない、文字だけの本だけれども僕のイマジネーションを限りなく刺激してくれる。
ジョルジュ・ムスタキがこの本に序文を寄せている。
シェ・ベルナデット Chez Bernadette、ポール・デュ・サリュ Port du Salut、ミロール・ラルスイユ Milord l'Arsouille、ラ・コロンブ La Colombeといったキャバレの名を挙げた後、こう書いている。
「それは私たちの若い日々であり、ある人々の青春時代だった。私たちの夢、愛、希望、ユートピアだった」。
この本にインスパイアされてシャンソン・フランセーズのアーティストたちを育んだキャバレの跡を見て歩こう、と思い立った。
ホテルの近くからYasuと二人で行脚を始めることにした。
まずサン=トノレ通りにある〈エスパス・サン=トノレ〉 Espace Saint-Honore。ここは昔〈レシェル・ア・クーリス〉 L'Echelle a coulisse と言った、とジャン・ラピエールの本に出ている。訳せば「舞台袖の梯子」。実力あるプロが新人に手を貸すための場としてこの名前が選ばれたという。
いまもライヴを行なっている。
元レシェル・ア・クーリス
次はオペラ通り5番地。〈ラ・テット・ド・ラール〉 La Tete de l'Art 跡地。大きな建物は残っているが他のブティックなどが入り、まるで姿形を留めていない。
反対側に渡り、モリエール通りに入る。〈シェ・アニエス・カプリ〉 Chez Agnes Capri を探す。 ジャック・プレヴェール作詞、ジョゼフ・コスマ作曲による「鯨捕り」などをはじめて歌った歌手のひとりアニエス・カプリが開いた店。いまは何やら山羊のイラスト看板がかかったクラブのように見受けられる。
元シェ・アニェス・カプリ
次に近くのパレ・ロワイヤルそばにあった〈ミロール・ラルスイユ〉 Milord l'Arsouille 跡を目指す。ボージョレ通りというのが分りにくく迷っていたら、上品なマダムが声をかけてきてくれた。「ついていらっしゃい」と先に立って案内までしてくれる。嬉しいご親切に、Yasuともども感謝。キャバレがあったと思しきあたりには何の痕跡もない。
ここで若き日のセルジュ・ゲンズブールは女性歌手ミシェール・アルノーのピアノ伴奏をしていたのだった。
元ミロール・ラルスイユ
少し先のプティ・シャン通りには〈ラ・ベル・エポック〉 La Belle Epoque があることは知られている。同じ通りの49番地には〈レシャンソン〉L'Echanson というキャバレがあった、と上記ラピエールの本にある。
シャンソン歌手のマルセル・アモンはここでシャルル・アズナヴールやジョルジュ・ブラッサンスを見かけたそうだ。が、いまは住所表示もなく、カフェになっているのがその跡地のようだ。
プティ・シャン通りを元の方向に戻り、ヴィクトワール広場を経てアブキール通り50番地にある〈サンティエ・デ・アール〉 Sentier des Halles へ。有望な若手が出演する場所だ。ジョルジュ・シュロン、アラン・ルプレスト、マノ・ソロ、リンダ・ルメイ、アルテュール・H(アッシュ)、ローナ・ハートナー、サンセヴェリーノ、ミケ3D(トロワデ)などを輩出している。
サンティエ・デ・アール
いま来た通りを直進してレオミュール通りを右折、セバストポール大通りにぶつかって左折する。サン=ドニ通りとの交差点を渡り、ストラスブール大通りに出る。4番地にあったのがカフェ・コンセール〈エルドラド〉。いまはコメディア・テアトルとなり、『ピュグマリオン』(『マイ・フェア・レディ』のフランス版)を公演中だった。
元エルドラド
通りを挟んだ向かい側にはやはりカフェ・コンセール〈スカラ〉Scala があった。しかし、いまは見る影もない。
シャンソン通り
ストラスブール通りをそのまま進む。ギュスターヴ=グブリエとパサージュ・ド・ランデュストリーのあたりにはその昔、ボレル=クレール、ヴァンサン・スコット、レオ・ダニデルフといったシャンソンの作曲家たちの住まいがあった所。ジャン・ラピエールの本には「シャンソン通り」として紹介されている。
いまはパサージュ・ド・ランデュストリー界隈にはなぜか美容院が多い。
元スカラ前
サン=ドニ通りとの交差点まで引き返し、右折してボンヌ・ヌーヴェル大通りに入る。すぐに通りの名前がポワソニエール大通りと変わる。
そこの11番地にあったのが、ミッティ・ゴルダンが1934年にオープンした〈ABC〉(アベセ)。シャンソン史上名高いミュージックホールだ。
イヴェット・ギルベール、リュシエンヌ・ボワイエ、ダミア、フレエル、マリー・デュバ、ミスタンゲット、エディット・ピアフ… ここのステージに登場したスターたちは枚挙に暇がない。1938年、シャルル・トレネがソロシンガーとしてのスタートを切ったのもここだった。
いまは住所表示も見当たらないので、おそらくこのへんだろうと見当をつけて写真を撮った。
元ABC?
ポワソニエール大通りが尽きるあたりから右に折れ、フォーブール・モンマルトル通りに入る。いまはテアトル・デュ・ノール Theatre du Nord となっているこの通りの13番地には〈ル・サントラル・ド・ラ・シャンソン〉Le Central de la chanson があった。ここも新人たちに門戸を開いていたスペースで、モーリス・シュヴァリエが命名した、と例の本にある。
元ル・サントラル・ド・ラ・シャンソン
今回の行脚の最後は〈シャ・ノワール〉Chat Noir(黒猫)。
フォーブール・モンマルトル通りをさらにまっすぐに歩き、ノートル=ダム・ド・ロレットを過ぎ、マルティール通りを北上してヴィクトル・マッセ通り12番地を目指した。
〈シャ・ノワール〉とくれば、シャンソン作者であり歌手だったアリスティード・ブリュアンの名前を忘れるわけにはいかない。ブリュアンは「シャ・ノワール」というシャンソンを書いて歌った。録音も残されている。
1881年の開店当初は少し先のロシュシュアール大通りにあったのが、1885年にヴィクトル・マッセ通りへと引っ越した。その時、常連がそれぞれ手に手に椅子やら調度品やらをを持ってブリュアン作の「シャ・ノワール」を歌いながら引越しを手伝ったというエピソードもある。そのルフランはこうだ。
俺たちは探す 幸福を
シャ・ノワールのあたりで
月明かりの下
毎夜 モンマルトルで
Nous cherchons fortune
Autour du Chat Noir
Au clair de la lune,
Monmartre, le soir
〈シャ・ノワール〉の跡にはいま、建物の壁にプレートが嵌め込まれているだけ。そいつをカメラに収めることにした。いい塩梅に工事用の足場があったので、その上に乗って撮らせて貰った。
シャ・ノワール跡のプレート
プレートには次のように文字が刻まれている。
「通行人諸君、歩を止めたまえ。この建物はロドルフ・サリスによってミューズ(芸術の女神)と歓楽に捧げられたもの。ここにはかの有名なるキャバレ シャ・ノワールが1885年から1896年まで存在していた」。
セーヌ右岸にはまだ訪ねるべきキャバレ跡地があるけれど、この日はこれくらいで引き上げることにした。
その日の午後8時、ツシマさんに会いにYTTへ。新しいアシスタントのSさんと初めて顔を合わせる。お二人の仕事が済むのを待って、一緒にディナーのテーブルを囲みに出かけた。大ぶりのアンドゥイエットが滅法うまい店でワインも進んだ。ツシマさん、ご馳走さまでした。どうもありがとうございます。
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お 知 ら せ
詳細は10月25日付本欄をご参照願います。
イングリッド・ベタンクール解放を呼びかけるポスター
国際イングリッド・ベタンクール連盟委員会が全世界的に幅広い支援を呼びかけています。詳細はサイトhttp://www.educweb.org/Ingrid/をご覧下さい。日本語でも読むことができます。
サイトhttp://www.ingridbetancourt-idf.com/otages/にも注目して下さい。画面右にある"Telechargement"(テレシャルジュマン=ダウンロード)から、イングリッドのポスターをダウンロードできるようになっています。この「お知らせ」欄に掲げた写真と同じものです。
同じページを下方へスクロールしていくと、左側に写真が縦に並べられています。いろいろなドキュメントを見ることができます。
上から5番目に"Allumez une bougie"「ローソクを灯して」という項目があります。写真をクリックすると、多くのローソクが並ぶ画面になります。一番下にあるローソクの絵をクリックしてみましょう。その絵が動いてすでに光を放っている列に向かって進んで行きます。
これで、ヴァーチャルなローソクを1本灯したことになるのです。
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☆『ディア・ピアフ ベスト・オブ・エディット・ピアフ』
(東芝EMI TOCP-67296)
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ピアフを敬愛するアーティストたちがセレクトした11曲を含む珠玉のベスト・アルバム。
「恋人が一輪の花をくれた」石井好子 撰/「バラ色の人生」椎名林檎 撰/「パリの空の下」小野リサ 撰/「いつかの二人」クレモンティーヌ 撰/「水に流して」中島みゆき 撰 他全20曲、【解説】大野修平。
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おすすめシャンソン・フランセーズCD&DVD
(対訳または解説:大野修平)
東芝EMI
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BMGファンハウス
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『シャンソン名曲大全集』
Le florilege de la Chanson Francaise
(GSD-13601〜10/BCD-0094 CD10枚組) |
『魅惑のシャンソン名曲集
〜Vive la Chanson!〜』
TheCDClub
(EMI ODEON FFCP-41710〜1 CD2枚組) |
パトリック・ブリュエル
『アントゥル=ドゥ』
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☆このCDについての詳細は当サイト「ディスクガイド」をご参照下さい。 |
ユニバーサル・ミュージック・ジャパン
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オーマガトキ
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ジャック・ブレル
『ベスト・オブ・ジャック・ブレル Brel Infiniment Jacques Brel』
(UICY-9450)
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アンリ・サルヴァドール
『ベスト・オブ・アンリ・サルヴァドール』
Henri Salvador Henri Salvador
(CD2枚組 UICY-1258/9)
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『アコーデオン』
(DVD OMBX-1004)
[監督]ピエール・バルー
[出演]リシャール・ガリアーノ/タラフ・ドゥ・ハイドゥークス/クロポルト/ダニエル・ミル/モーリス・ヴァンデール/シブーカ/クロード・ヌガロ/coba/続木力/深川和美/まや他 |
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