オリヴィエ・ダアン監督映画『エディット・ピアフ 〜愛の讃歌〜』の評判はいいようだ。直接、間接に「よかった」との感想を聞く。お母様と一緒に観賞された小池恵子さんは、当サイトの「掲示板」に文章を寄せて下さっている。
プログラムに原稿を書いた身としては素直に嬉しい。
あれから10年になる、とつくづく思う。1997年の10月、僕はパリにいた。
朝日新聞が日曜版の紙面で「100人の20世紀」というシリーズ企画をスタートさせる直前のこと。外報部記者だったMさんは、エディット・ピアフを題材に選んだ。
Mさんは、かねてから懇意にしていた加藤登紀子さんの事務所社長でお姉様のS子さんに相談した。「シャンソンのことなら」とS子さんから僕を紹介され、Mさんからお呼びがかかったのだった。
「ピアフを直接に知る人たちに直接会って話を聞きたい」。それがMさんの希望。ついては通訳を頼みたい、というのだ。さらに誰に会うべきか、そのコーディネイトも依頼された。
頼まれると二つ返事でひと肌脱ぎたくなるのが、僕の性分。さっそくパリの友人エリックに相談を持ちかけた。彼も喜んで協力してくれることになった。
エリックの努力もあって次々とインタヴュー相手が決まった。
9人組男声コーラスグループ、レ・コンパニオン・ド・ラ・シャンソンのトップテナー、フレッド・メラ Fred Mela。
彼らはフランス古謡を得意としていたこともあって、初めはピアフのだみ声に馴染めなかったそうだ。が、第二次世界大戦中のあるコンサートで彼女の声と存在感に打ちのめされた、と語った。
エディットの妹分だったモモーヌことシモーヌ・ベルトーの夫で、シャルル・アズナヴールのマネージャーでもあった、ジャン=ルイ・マルケ Jean-Lous Marquet。アズナヴールがピアフ宅に世話になっていた時分の楽しい秘話を聞かせてくれた。
昏睡8日間の後、まだ本調子でないにもかかわらず、自宅に僕たちを招き入れ、ガウン姿でインタヴューに応じてくれたロラン・リベ Rokand Ribet。
ショービジネス界古手で、アズナヴールやダリダなどのマネージャーを務めた伝説的人物。インタヴューの終りに著書をくれた。タイトルは≪L'impresario impertinent≫(「不躾なマネージャー」 Jacques Grancher, 1993)。貴重なエピソードに富んだ本だ。
当時、ジムナーズ劇場で上演されていたミュージカル『ピアフ ジュ・テーム』の主演女優、ナタリー・レルミット Nathalie Lhermite をほめちぎっていた。
フランス・ディマンシュ紙で晩年のピアフ番記者を務めたジャン・ノリ Jean Noli。彼の著書は田口孝吉さんの翻訳で、『エディット・ピアフ 「バラ色の人生」挽歌』として、音楽の友社から1975年に刊行されている。
当時、ピアフのことを書けば新聞の売上げがぐんと伸びたそうだ。ピアフと組んで、いかにもこの大スターにふさわしい“伝説”を作り上げることもあった、と告白していた。
そして、シャルル・アズナヴール Cherles Aznavour。
彼が経営する音楽出版社ラウル・ブルトン社はまだロッシーニ通りにあった。朝日新聞パリ支局にもほど近かった。
同社の肌寒い日で、アズナヴールは黄色のセーターを着ていた。気さくに話してくれたので助かった。
ピアフが永遠の眠りに就いているペール・ラシェーズ墓地もM記者と訪れた。
彼女の墓の掃除をしている、薄紫のカーディガン姿の人がいた。近寄ってみると、遠目には年老いた女性に見えたその人物にはうっすらと口ひげがある。
ルネさんという男性だった。ボランティアで墓をきれいに保つ仕事をしているのだった。「明日、ここでミサがあるよ」と教えてくれた。
翌10月10日、ピアフの命日にペール・ラシェーズ墓地内のチャペルでミサが行なわれた。Mさんともども参列した。ミサが始まる前、堂内にはピアフの歌声が流れていた。エディット・ピアフ博物館長、ベルナール・マルショワ Bernard Marchoisさんも列席していた。
昨日、カーディガンを着ていたルネ爺さん、この日ばかりはスーツにトレンチコートを羽織っていた。2年後、そのルネ爺さんはこの世の人ではなくなってしまっていたのが寂しい。
「いまのフランスでシャンソンはどうなってるのか知りたい」。Mさんはジャーナリストらしい申し出をしてきた。
それならば、と案内したのがバスティーユ広場の裏道、ジャン・ボージール通りにあったシャンソンのライヴハウス、アイユール Ailleurs。
ロロ Lolo が料理の腕を振るい、赤ん坊を抱えたボリス Boris が広報を担当し、キキ Kiki がアーティストの世話をしながら運営している店だった。明日を夢見る若きアーティストたちが出演していた。Mさんと一緒に実力ある女性シンガー、ミシェール・アトラニ Michele Atlani に話を聞いたのも楽しい想い出だ。
あれから10年の歳月が過ぎ去った。
でも、シャンソン・フランセーズへの僕の熱い想いは変わることはない。いや、さらに強まっている。
あの頃、若い監督による『エディット・ピアフ 〜愛の讃歌〜』という映画が作られるなんて夢にも思っていなかった。それがいま、日本で公開されている。そのプログラムに原稿を書く幸せを味わうことができた。
これもエディット・ピアフの大いなる愛のなせる業だろうか。心から言いたい。ありがとう、エディット。そして10年前、快く取材を受けてくれた方たちにも改めて感謝したい。
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エディット・ピアフ 〜愛の讃歌〜
配給:ムービーアイ 今秋、有楽座ほか全国ロードショー!

エディット・ピアフを彷彿とさせるマリオン・コティヤール
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