時折、筋を追って本を読むのが面倒になることがある。身体が疲れていたり、心が萎えていたりする時にそんな気分になる。
そういう時でも、本を手に取ってしまう。性(さが)というものだろうか。論理的な文章は頭に入らないので、引用語辞典などが手頃だ。
フランスで出ている≪Dictionnaire des citations du monde entier≫『全世界引用語辞典』(marabout, 1978)のページを繰ることが多い。著者はベルギー、モンス生まれのカルル・プティ Karl Petit。
引用されている人物のなかにはフランス、イギリス、アメリカ、ドイツなどの作家、詩人、哲学者に交じって、日本の文学者たちの名前も数多く見受けられる。
試みに拾い出してみよう。柿本人麻呂、清少納言、紫式部、僧正遍照、松尾芭蕉、向井去来、岡倉覚三(天心)、夏目漱石、三木露風…。
時々、表記が怪しげな場合もある。村野四郎が"Marano Shiro"、堀口大學が"Herigichi Daigaku"、服部嵐雪が"Hattori Rantsetsu"と誤記されている。校正時に見逃したものだろうか。
『万葉集』や『古今和歌集』にも言及している。よくもまぁ、これだけ目配りが行き届いているもんだなぁ、と思って著者紹介を読んでみた。著者のカルル・プティはジャーナリストであり、文献学者。この本が刊行された1978年当時、すでに25年の長きにわたって日本文学を読み、魅了されてきたとある。
なるほど、日本人作家の引用が多いのも頷ける。
「ポエジー」"Poesie"=「詩」の項を拾い読みしていたら、紀貫之の言葉が真っ先に収録されているのに出くわした。ちょっと引いてみよう。
Le temps a beau aller ses etapes, les choses passer, les joies et les tristesses croiser leurs routes; quand le rythme est la, comment la Poesie pourrait-elleperir?
Ki no Tsurayuki, Preface au Kokinnshu
紀貫之が書いた『古今集』仮名序文の末尾近い箇所のフランス語訳だ。これを日本語に移し替えてみると―
時がその行程を進んで行き、物事が去り、喜びや悲しみが行き交ったとしても何になろう。律動がそこにあるならば、ポエジー(詩)が色褪せることなどあろうか。
「明晰ならざるものフランス語にあらず」"Qui n'est pas clair, n'est pas le francais" と言われるとおり、実に明解な訳になっている。
普段、僕はフランス語の原文を日本語に翻訳することが多いのだけれど、こうした逆のケースにも大いに興味がある。いったい、どのように訳しているんだろう、と思ってしまうのだ。
それを探るためにも貫之が書いた原文と比べてみよう。
たとひ時うつり事さり、たのしびかなしびゆきかふとも、この歌のもじあるをや。
これを現代語訳すれば「たとえ時が過ぎ世の物事が過去になり、楽しいこと、悲しいこと、いろいろ過ぎて行ったにしても歌は存在し続けるだろう」といった意味になる。フランス語訳にある「律動」le rythme なる語は見当たらないけれど、詩を成り立たせるためにはリズムは重要な要素であることは疑いを容れない。
ところがこのリズムという奴が曲者。その国語に特有なものなので、リズムまで訳に活かすとなると四苦八苦する羽目に陥る。
この『引用語辞典』を編んだカルル・プティが小野小町の名歌に挑んだ跡を見てみよう。
En pensant a lui,
Je me suis endormie,
Mais je l'ai vu aussitot.
Ah! si j'avais su que c'etait un reve,
Jamais je ne me fusse reveillee.
このフランス語訳は「夢」の項目に採られている。これを日本語に訳しなおしてみるとこうなる。
あの人のことを考えながら
私は眠り込んでしまった
しかし、私はあの人を再び見かけた
ああ、それが夢と知っていたならば
目を醒ますことなどしなかったものを
『古今和歌集』巻第十二、恋歌二の巻頭に収められた小町の原詩を掲げる。
おもいひつつぬればや人のみえつらむ夢としりせばさめざらましを
あえて現代語を掲げておこう。「恋しい想いを抱いて寝入ったのであの人が姿を現わしたのだろうか。夢と知っていたなら目が醒めないようにしたであろうに」。最後の箇所は「目を醒まさなかったであろうに」とも解し得る。
言うまでもなく、五七五七七の三一文字で詠まれている。これが和歌のリズムだ。プティのフランス語訳を見る。各行のシラブル数を数えると詩のリズムが明らかとなる。
第1行目が五、第2行目が六、第3行目は八、第4行目は十一、最終行は十。総計で四十になっている。三十一音より九つ多い。
歌の意味は完璧に翻訳されているのは明瞭だ。しかし五七五七七のリズムには収まりきれていない。フランス語訳にケチをつけるつもりはないけれど、元の和歌の説明文に近いものになっていると言えよう。
ことほどさように、ある国語に固有のリズムを他の国語に移し替えるのは容易な業ではないのだ。このケースと逆の難行苦行をずっと繰り返してきたので、痛いほど解る。
この「おもひつつ」に続いて、『古今集』では「夢」を詠んだ歌がさらに二首続く。小野小町による夢三部作とでも呼びたい、いずれ劣らぬ名歌だからついでに掲げておこう。
うたたねに戀しき人を見てしより夢てふ物はたのみそめてき
「うたたねをして恋しい人の姿を見た。その時から、夢を頼みと思うようになってしまった」と、前の歌を受けて詠んでいるように思える。
もう一首。
いとせめて戀しき時はむばたまの夜の衣をかへしてぞきる
「いとせめて」は「どうにもならぬほど」という意味。歌の現代語訳は「どうにもならぬほど恋しい時には、夜の衣を裏返しに着るのです」。
古来、夜の着物を裏返しに身にまとうと夢のなかで恋人に会えるという俗信があったという。
カルル・プティの『引用語辞典』には残念ながら、これら二首のフランス語訳は載っていない。日本語のリズムを移すことの難しさに手こずったものだろうか。
ならば僕自身で訳してみようかなとも思うけれど、そう簡単にいきそうにないなぁ。
そんなことに思い悩む、僕の「心づくしの秋」は終わりそうにない。
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