パトリック・ブリュエル インタヴュー
「昔のシャンソンはナイーヴで、また深い。軽やかで中身が濃いから好きなんです」。
                          2004年6月19日

 第12回フランス映画祭横浜のために来日したパトリック・ブリュエルに会うことができた。これから東京へ遊びに行くという直前で、ちょっと浮き足立っていたけれど、気さくに話してくれた。
 第一次、第二両世界大戦間の時代にヒットしたシャンソン・フランセーズを新たなアレンジで、様々なアーティストたちとデュエットしているアルバム『アントゥル=ドゥ』について主に聞いた。
(アルバム紹介は「ディスクガイド」をご参照ください)
   
     
 
《Entre-deux》
 Patrick Bruel

「アントゥル=ドゥー」
 (輸入盤)
 パトリック・ブリュエル

 BMG-74321926812

―『アントゥル=ドゥ』《Entre-Deux》のアルバムを作ろうというアイディアはどうやって得たんですか。
パトリック・ブリュエル(以下P.B.と略記)1930年代、40年代の古いシャンソンは以前から好きでした。兄と相談してそうしたシャンソンでアルバムを作ってみよう、ということになったんです。

―お母さんもアルバム作りにアイディアを提供されたと聞いていますが。
P.B. いえ、僕自身の発案によるものです。昔のシャンソンはナイーヴであり、また深い。軽やかであってまた中身が濃いから好きなんです。アルバムを作った時には、これほどヒットするとは思いませんでしたけど。

―このアルバムが出た後、パリの街角でここに収められた曲をアコーディオンで弾いている人がいました。どの曲だか想像がつきますか。
P.B. 「サン=ジャンの私の恋人」"Mon amant de Saint-Jean"かな。

―そうなんです。
P.B. モンマルトルですか、階段あたりとか?

―階段の下でしたけどね。このアルバムのおかげでそのアコーディオン弾きはまた仕事を見つけた、というわけですね。
P.B. 遺産とも言うべきものですからね、これらのシャンソンは。このアルバムが日本でも発売されて、コンサートで歌うためにやって来たいですね。先日、レコード会社の人にお会いしたんです。明日もまた会うことになっているんですよ。

―じゃあ、出せるように押さなくちゃいけませんね。
P.B. そうですね。

―いま、このディスクの売り上げは200万枚以上ですか。
P.B. 300万枚です。

―すごいですね。
P.B. 大変な数になりました。

―オランピア劇場でのコンサートを記録したDVDを観ました。なかでも僕の気に入っているのは、あなたが会場内に下りて行って踊られた時です。
P.B. 年配の女性とでしょ。

―そう、ジネットさんっておっしゃいましたね。とてもいい雰囲気でした。
P.B. 毎晩、違ったご高齢の方と踊ったんですよ。どの街へ行っても、場内に下りてたまたま目についた女性と踊りました。素敵な瞬間でしたね。

―あの女性たちの人生を再び輝かせたことになりますね。とてもシックなやり方でした。
P.B. ええ、そうですね。僕にとっても喜びなんです。

―このアルバムのなかでどのシャンソンが一番お好きですか。
P.B. 「サン=ジャンの私の恋人」です。これが気に入って、アルバムを作ろうと思い立ったんですから。他のもみんな好きですけどね。

―というと、リュシエンヌ・ドリールのヴァージョンをお聴きになったんですね。
P.B. はい。トリュフォーの映画『終電車』に使われていたヴァージョンです。あの映画によってあの曲を発見したんですよ。

―1991年、シャルル・アズナヴールが来日した時に通訳をしたことがあります。とてもシンプルな人でした。このアルバムのメイキング・オヴ・フィルムにアズナヴールがスタジオに来て、「ここを歌えばいいのかい」なんて気さくに話していましたね。いつもあんな風だったんですか。
P.B. そうそう。とてもシンプルで、友だちづきあいさせてもらってますよ。

―アズナヴールのシャンソンでは他にどれがお好きですか。
P.B. ライヴで歌っているのは「遠い想い出」"Non, je n'ai rien oublie"ですね。

―長いシャンソンですよね。
P.B. はい。でも、とてもきれいな歌です。きれいなお話でね。映画のストーリーなんですよ。ある男がかつて愛していた女性と別れて10年後に出会い、昔のことを何ひとつ忘れていないよ、と言う。

―あなた自身もそうした体験がありますか。
P.B. いえ、ありません。

―感動的な歌ですね。
P.B. とても感動的です。

―アルバムにも収録された『カセ・ラ・ヴォワ』《Caser la voix》を歌っていたのは…
P.B. 1990年から91年頃にかけてですね。

―その後の時期になりますね、ラ・ロシェルで行なわれた「フランコフォリー」Francofolies のステージであなたを観たのは。
P.B. 91年ですか、それとも97年?

―95年です。
P.B. 「フランコフォリー」には4回ほど出ていますからね。とても素敵なステージですよ。日本でも「フランコフォリー」をすればいいのに、たくさんのフランス人歌手を呼んで。

―たとえばここ、横浜あたりで?
P.B. 港があるから、ラ・ロシェルみたいですもんね。きっと素敵になるでしょう。「フランコフォリー」の主催者であるジャン=ルイ・フルキエ Jean-Louis Foulquier さんは今年を最後に手を引くそうですよ。

―どうしてですか。
P.B. お疲れになったのかな。去年はフリーの興行関係者のストで中止に追い込まれたりしましたからね。とてもいいフェスティヴァルだから他の人がちゃんと引き継いでほしいですね。

―そうあってほしいと思います。また出演されることはありますか。
P.B. 今年は出ませんが、またの機会に出演したいです。

―シャンソン・フランセーズの歌手で誰がお好きですか。
P.B. シャルル・トレネ Charles Trenet アラン・スーション Alain Souchon、フランシス・キャブレル Francis Cabrel、ジャン=ジャック・ゴールドマン Jean-Jacques Goldman、ルノー Renaud、ジョニー・アリデイ Johnny Hallyday も。

―たしか、このアルバムで誰もが「モンマルトルの丘」"Complainte de la Butte" を歌いたいと望んだそうですね。
P.B. はい。でもフランシス・キャブレルが真っ先に電話をかけてきたんですよ。シャンソンを録音したCDをいろんなアーティストたちに配って、歌いたい曲を選んで貰ったんです。ザジも「モンマルトルの丘」を歌いたいって言ってきたんですが、「もう決まってしまった」と返事しました。

―そうでしたか。アズナヴールはどうだったのですか。
P.B. 「私は『メニルモンタン』だ。土曜日15時にね」という電話でした。「いいですよ」って答えましたよ。

―仕事のご予定は。
P.B. いま歌を書いています。それから映画のシナリオも。

―日本についての印象は?
P.B.滞在日数が短過ぎますよ。

―日本人についてはどうですか。
P.B. とても親切で、他人を尊重していらっしゃいますね。こちらにいると快適ですよ。誇りに思いますね。みなさん映画がとてもお好きなのを目の当たりにしました。僕が出演した『あなたを待つ人生』《Une vie a t'attendre》の配給が決まるといいと思っています。


「みなさん、こんにちは。ではまた近いうちに」。

 
 
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