故 中村富一さんを偲ぶ  10月22日(金)
2010/10/22
またひとり、シャンソン界に名を残す人がこの世を去った。
 その人の名前は、中村富一さん。亡くなられたのは、10月16日(土)午後7時5分。享年74。
 かつて石井好子音楽事務所の社員として、数々のコンサートの現場を作り上げてこられた。1963年に始まった「パリ祭」のステージにも関わっておられる。

 初めの頃、「パリ祭」は日比谷野外音楽堂で開催されていたそうだ。その時期に発売されたばかりのサントリービールを当時の同社社長と一緒に売ったものだった、とよく昔語りをされていたのを憶えている。

 シャンソンのコンサート会場でよく姿をお見かけしていたものの、背が高く、目のギョロッとしたその面差しに声をかけることもできずに何年も過ぎていった。
 中村さんとの間を取り持ってくださったのが、深緑夏代さんの実弟・多田耿志さんだった。深緑さんとも仕事やプライヴェートを通じて因縁浅かならぬ仲だった中村さんも僕に興味を持っていてくださったようだ。

 僕が編集発行していた「るたん」が経営的に行き詰まっているのを心配してくださったのだ。1986年暮のことだった。
 その頃、中村さんは大阪日日新聞社東京支社長という肩書きをお持ちだった。シャンソンの殿堂とも言うべき〈銀巴里〉にほど近い銀座7丁目にあった事務所の一角に机を貸していただき、「るたん」の発行を続けることを許してくださった。僕に取っては渡りに船、アルバイト代も稼げるようご配慮いただき、正直助かった。

 「るたんフェスティバル」を発案、1987年にスタートさせたのも中村さんだ。何回か女優の市原悦子さん、左時枝さんのご協力も得ながら軌道に乗せた。
 会場には日比谷公会堂が選ばれた。どうやらここで「パリ祭」を開催した想い出が忘れられなかったようだ。

 ところが同公会堂は、照明・音響機材の搬入・搬出のためのエレヴェーターが備わっていなかった。そこで、僕たちも腕まくりをしてスピーカーなどを運ぶ手伝いをすることになった。若かったからできたけれど、いまなら腰でも痛めかねないなぁ、と思う。

 ここ数年は、「るたんフェスティバル」の会場は新橋ヤクルトホールが定席となっている。今年はちょうど、今日と明日が開催日に当たっている。
 力を入れていたフェスティバルを目前に、中村さんは旅立たれてしまったわけだ。ちょっぴり心残りだったかもしれない。

 通夜式が19日(火)午後6時から、葬儀・告別式が20日(水)午前11時20分から富岡斎場で執り行なわれた。
 ピアニストで、フェスティバルを支えてくれている中尾博行さんから受付の手伝いを依頼された。もちろん、何をおいても駆けつけると告げた。さらに、弔辞も読んでほしいとも言われた。一瞬ためらったけれど、引き受けることにした。

 20日。僧侶の読経が一段落して、弔辞を述べる時が来た。前夜、あれこれ考えたのだが、預かった紙に言葉を書き連ねることができなかった。どんな言葉であっても、書いたとたんに嘘っぽくなってしまうような気がしたのだ。
 「お前はそんな上っ面なことしか言えないのか」と、中村さんのお叱りを受けそうで怖かった。

 立ち上がってマイクの前に進んだ僕は、やおら何も書かれていない弔辞の紙を取り出し、正直にそのことを霊前に告白した。
 「ご覧のとおり、白っ紙です。その代わり、正直な思いを語らせていただきます」。少し息を継いで語りかけた。顰蹙を買いかねないと思いながらも、こう始めた。

 「中村さんには3つ、大きなものがあったと思います。まず声がでかかった。態度もでかかった。そして、人間としての器が大きい人でした。だから僕のような者まで、その大きな胸の内に抱え込んでくださったんですよね。そのおかげで、シャンソン評論家という仕事を続けることができました。ほんとにありがとうございます…」。

 あれほど多くの花に囲まれた中村さんを見たのは初めてだった。柩に横たわる中村さんの顔のまわりにまで花がいっぱい飾られた。
 お元気な頃だったら、「おい、照れくさいじゃないか」とおっしゃられたかもしれない。

 この斎場にもエレヴェーターがない。そこで、男性たちが柩を運ぶことになった。僕は足元に当たる場所を持たせていただいた。
 霊柩車にお乗せする。車が静かにスタートした。僕はここまでだ。後に続く親族の方たちをお見送りして辞去した。

 親分肌と言うのだろうか、ほんとに面倒見のいい方だった。僕の小生意気な物言いにも腹を立てることもなく、耳を貸してくださっていた。
 そういう人に甘えることができたことを心から感謝したい気持ちでいっぱいだ。

 中村さん、お疲れさまでした。お世話になりありがとうございます。どうぞごゆっくりお休みください。

ラウル・バルボサ来日中  10月13日(水)
2010/10/13
ダニエル・コラン Daniel Colin 、ラウル・バルボサ Raul Barbosza というスタイルの異なるアコーディオ二ストのCDがまさに今日、発売される。

ラウル・バルボサ&ダニエル・コラン『パリの出会い〜2大アコーディオニスト夢の競演』(リスペクトレコード RES-173)と題するアルバム。クレール・エルジエール Claire Elsiere とドミニク・クラヴィックDominique Cravic の歌うシャンソンの名曲も聴ける。

 一昨日に来日したラウル・バルボサ。昨日からこのニュー・アルバムと12月に行なわれるコンサートのプロモーションが始まっている。僕はその通訳を引き受けた。
 72歳のラウルは昨日、5件のインタヴューに応じたが疲れを見せることがなかった。ブラヴォー!

 今日もこれから仕事だ。心地良い緊張感のなかにいる。

 16日(土)、16h00から渋谷のタワーレコードでインストアライヴが開催される。ラウルの素敵な演奏を聴きにいらっしゃいませんか。

『モモの考え』拾い読み(その2)
2010/09/29
モーリス・シュヴァリエ Maurice Chevalier(1888-1972) の本、《Les pensees de Momo》『モモの考え』のページを開いて、また彼の言葉に少し耳を傾けてみたい。
 今日は"L'equilibre"「バランス」の章から。
 引用に続けて、〔*〕以下に僕の感想を書く。


  人生はお前が毎日ひと針ずつ縫い進めてゆくことのできる絶え間ない刺繍だ。

  La vie est une brederie incessante ou tu peux progresser d'un point chaque jour. (p.120)


 〔*〕そう、一足飛びにというわけにはいかない。人生は毎日の積み重ねであることを忘れてしまいそうになることがあるから、気をつけよう。


  続けること、推し進めること。頑固に犁(すき)を押す農夫のように。

  Continuer, pousser, tetu comme un paysan qui pousse sa charrue. (p.121)

 〔*〕何事かを毎日続けてゆくには、時には頑固さも必要になってくるというものだ。


  慎重さが慢性的な怯えへと方向を変えるままに任せてはならない。

  Ne laisse pas tourner la prudence a la peur chronique. (p.124)


 〔*〕時には危険をも顧みずに冒険することも、前に進むためには有用ということだろう。


  手に入れるのが難しくない幸せなどあるものだろうか。

  Existe-t-il un bonheur qui ne soit pas difficile a obtenir? (p.127)


 〔*〕僕たちは簡単に手に入れられるものは、またたやすく手放してしまうものだと考える。それに引き換え、努力して手に入れたものを僕たちは大切にしないだろうか。


  人生にはきらめきが必要だ。

  La vie a besoin d'etincelles. (p.129)


 〔*〕愛する人の目の輝きでもいい。仕事仲間や友人たちとの会話から感じ取られるエネルギーでもいい。日常を輝かせてくれるきらめき。それがある人生は素晴らしい


  物事がうまく行っている時、私は早く目覚めるのが好きだ。早い時間から幸せであることを始めたいから。

  Lorsque les choses vont bien, j'aime me reveiller tot pour commencer a etre heureux de bonne heure. (p.134)


 〔*〕子供の頃、遠足の日の朝は嬉しくていつもより早く起きていたように記憶している。


  憧れたり、熱中したりできるることは心の優しい人間にとっては価値を低めることにはならない。

  Le pouvoir d'admirer et de s'enthousiasmer ne s'amenuise pas chez les gens de coeur. (p.137)


 〔*〕心躍らせるもの、神秘的なものがこの世には満ち溢れている。それらを賞賛することは、いくらかは自分を高めるのに役立つかもしれない。


  喜びを通してよりも、悲しみを通して私は生きることをよりよく学んだ。

  J'ai mieux appris a vivre a travers les chagrins qu'a travers les joies. (p.139)


 〔*〕確かに、うまく行った恋からよりも、失恋から学ぶものの方が多いような気もする。


  ある期間、何人かの人たちを騙すことはできるかもしれない。
  しょっちゅう、あらゆる人たちを騙すことはできない。

  On peut couillonner quelques personnes pendant quelque temps.
On ne peut pas couillonner tout le monde, tout le temps. (p.145)


 〔*〕シュヴァリエのこの言葉を読んでいて、似たような日本語の言いまわしを思い出した。「鳥なき里のコウモリ」。
 鳥がいない土地では、コウモリが空を飛ぶのをいいことに「俺は鳥だ」と言いふらすことができる。しかし、鳥が姿を見せたらコウモリの出番はない。虚偽はいつまでも通用するものではないのだ。ニセモノの化けの皮はいつか剥がれる。


 モーリス・シュヴァリエはみずからこの本のあとがきに、「自分をモラリストのうちに位置づけないでほしい」と記している。多少なりともアフォリズムめいたことを書いてはいるけれど、彼はモンテーニュ Montaigne やパスカル Pascal といった知識人ではないというわけだ。

 とはいえ、一芸に秀で、世の人々にもてはやされたアーティストの言葉は傾聴に値する。知識は料理本に出ているレシピのようなもので、知恵は料理人が長い経験から学び取ったコツとか勘のようなものだという言い方がある。
 僕たちがシュヴァリエの本の行間に読むのは、まさにそれだ。

 彼はこうも書いている。


  私たちはみな、私たち自身の職人だ。

Nous sommes tous les artisans de nous-memes.    (p.141)


 これからも自分を磨くために、またこの本を繙くことがあることだろう。

シャンソンの楽しみを分かち合った午後  9月27日(月)
2010/09/28
〔写真:上野・東京文化会館大会議室で行なわれた、大野修平シャンソン講座の様子。撮影=安井高明 ♪写真をクリックすると拡大されます〕


9月25日(土)、秋晴れの気持ちいい一日だった。
 銀座おとな塾SANKEI GAKUENでの僕の講座「シャンソンのベル・エポック」に来てくださっている安井高明さんのご尽力によって、ひとつの企画が実現した。7月1日、朝の6時から並んで上野にある東京文化会館の大会議室を予約してくださったのだった。

 当日の参加者は、三越カルチャーサロンで開催されている庄司淳さんのシャンソン教室に通う受講生の方々が中心だった。もちろん、銀座おとな塾からも駆けつけて来てくださった方たちもいて嬉しい。

 友人のYasuもアシスタントとして参加してくれたので、スムーズに事が運んだ。

 午後2時スタート。まず、ホリプロファクトリー部の新倉啓代さんが立ち、来年1月・2月に行なわれる「音楽劇 ピアフ」のご案内をした。僕も資料提供などで協力しているので、プロモーションの場に使って貰ったのだった。

 とにかく、シャンソンを楽しんでいただきたい。そのことを主眼に講座の中身を組み立てていった。
 そこで、まずはパリとシャンソンに関するクイズをした。これは以前にもウケたのでまた行なうことにした。僕からの質問に対してみなさんに手を挙げて正解を答えていただくという方式。全16問、みなさん活発に答えてくださったのはありがたい。

 続いて《Paris Romance》(『パリ・ロマンス』)という、フランス製作のDVDを観賞。パリの歴史が解りやすく説かれているもので、若いカップルが街を歩きながらシャンソンを歌うという趣向になっている。
 全部を観ると時間がかかるので、冒頭からおよそ30分間だけを流すことにした。その間に6曲のシャンソンが聴ける。念のために曲目を記しておこう。


01. La complainte de la Butte モンマルトルの丘

02. Moulin rouge   ムーラン・ルージュの唄

 〜Ou sont-ils donc(Frehel)〜モンマルトルの挽歌(フレエル)

03. L'ile Saint-Louis サン=ルイ島

04. A Saint-Germain-des-Pres サン=ジェルマン=デ=プレで

05. Place Maubert モーベール広場

06. Sous le ciel de Paris パリの空の下


 観終わってから、DVDの冒頭に入っていた「モンマルトルの丘」を、オリジナル歌手コラ・ヴォケール Cora Vaucaire とムルージ Mouloudji のヴァージョンで聴き比べた。

 さらに、モンマルトルと言えばアリスティード・ブリュアン Aristide Bruant の名前を忘れることはできない。
 というわけで、彼のシャンソンを集めた本に掲載されている「ニニ=ポー=ド・シアン」"Nini-Peau d'Chien" のルフラン部分をみんなで一緒に歌うことにした。庄司淳さんのクラスで歌うことに慣れている方が多かったせいか、スッと歌ってくださったのはありがたい。

 気がつくと、もう午後4時が目前となっていた。みなさんもご満足いただけたような表情だったので、これにて散会ということにした。

 講座を終えてから、近くの中華料理店で「お疲れさま」と一杯。
 大勢の参加者のみなさんとシャンソンの楽しみを分かち合うチャンスを作ってくださった安井さんへの感謝の気持ちを表わす言葉が見つからないほどだ。
 どうもありがとうございます。

明日の予告です  9月24日(金)
2010/09/24
いやはや、筆舌に尽くし難い猛暑に明け暮れた今年の夏でしたね。「ひとりごと」も呟けないほどでした。みなさんは体調を崩さずにお過ごしになられましたか。
 昨日、今日は打って変わって肌寒いほどですね。どうか風邪など召しませぬようお気をつけくださいね。

 明日、9月25日(土)シャンソン・フランセーズについての僕が話をします。
 パリの街を若いカップルがシャンソンを歌いながらガイドするDVD《Paris Romance》『パリ・ロマンス』を観賞する予定です。

 そのDVDのなかで歌われているアリスティード・ブリュアン Aristide Bruant のシャンソンについて、僕が解説を加えます。
 楽しい会にするつもりです。よろしかったら、秋の昼下がりを上野でシャンソンとともにお楽しみになりませんか。みなさまのお越しを心よりお待ち申し上げます。

 詳細は次のとおりです。

 ◆大野修平のシャンソン講座 『パリ・ロマンス』◆

     2010年9月25日(土)

   開場 13時30分  開演 14時

  ところ 東京文化会館 3階 大会議室
      03−3828−2111(代)
      台東区上野公園5−45
      http://www.t-bunka.jp/

  会費: ¥500.−
 定員: 70名 先着順

    主催:三越カルチャーサロン・庄司淳シャンソン教室
    協賛:庄司淳先生を応援する会・ベルザネ
お問い合わせ:各グループ代表・庄司先生
       安井高明 080−5067−5460


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