「紙があって、よかった」  8月30日(月)
2010/08/30
8月27日(金)、読売新聞7・9面に出た広告が目を惹いた。ひときわ大きな文字でキャッチコピーが記されている。「紙があって、よかった」。
 7面には手塚治虫による作品のアイディアスケッチ、9面には野口英世の母シカが息子に宛てて書いた手紙が掲載された。

 どちらも紙に書かれたからこそ、後世にまで残ったというわけ。日本製紙、王子製紙、大王製紙、丸住製紙、中越パルプ工業が共同スポンサーとなった広告で、同日の読売新聞の記事によると全国の103紙に同じ広告が載ったという。

 手塚治虫の広告にはさらにこうある。「その時、 紙がなかったら、あのヒーローも生まれてなかった」。
 そして、シカの手紙には次の言葉も添えられている。「紙に書いた想いは、その人の 声になって届く」。
 どちらも紙の長所を的確に描き出した分りやすい、ストレートなメッセージだと思う。

 しかも、この味わい深い短い言葉は新聞紙に印刷されて僕たち読者の手に届いている。
 ページを開いてこれらの言葉を読む僕たちには、まず新聞紙の手触りを感じている。続いてシンプルだが、なるほどと思わせられるメッセージが目に飛び込んで来る。やがてそれらの言葉は、じんわりと胸にまで染み込んでくる…

 そう、何よりもまず、紙は手で触れられるものとしてそこにある。手に取り上げた後に、紙の上に書かれたり印刷された文字を僕たちは読むのだ。まぁ、たまにはその逆の場合もあるかもしれないけれども。
 紙の手触りという要素もまた、そこに盛り込まれた情報内容に劣らず物を言うのだと思えてならない。

 受け取った手紙が洋紙に書かれているか、それともか和紙に書かれたものか。その手触りはまるで違う。そしてまた、書簡箋の選び方ひとつで、その手紙をくれた人の心遣いや個性までもが偲ばれようというもの。

 口から放たれる言葉はまさに、言(こと)の葉(は)。風に吹かれてはらはらと宙を舞い、あるものはどこかへ飛ばされてしまう。またあるものは地に落ちて積みさ重なり、誰かに踏みしだかれ、忘れ去られてしまうかもしれない。

 しかし、紙の上の文字や絵は残る。時代や国境を超えて人々の記憶に留まり続ける。だから重要な約束事は紙に書かれることになった。国と国との条約、商取引契約の文言などがそうだ。

 そして詩や散文、絵や楽譜といった芸術的な創作物もまた。いくつかの例外はあるとしても、それらはほとんど常に紙の上に書かれ、あるいは描かれて今日まで伝えられてきた。
 そのおかげで僕たちはいまも芸術作品の数々を味わうことができるのだ。ほんと、「紙があって、よかった」。

 iPadが人気を集めている。僕も興味はあるけれど、まだ手に入れていない。
 電子書籍をめぐる議論も賑やかだ。これからの出版事情は大きく変わっていくのだろう。電子メディアに載せた、“本のようなもの”が世に出まわるのかもしれない。

 時代のトレンドを否定するつもりは毛頭ない。しかし、そうした電子メディアだけが世に氾濫してしまうとしまうとしたら一抹の寂しさを禁じ得ない。だって何か物足りないじゃないの。

 書籍や雑誌、新聞など紙のメディアには確かにあった手触りや重さ、インクの匂い…。そうした副次的な要素もまた、情報内容そのものに劣らず伝えられて然るべきものではないだろうか。そんなものどうでもいい、と言われてしまえば返す言葉もないけれども。

 変わりゆく時代を尻目に、今日もまた好きな本を撫でさすりながらページを繰る。そして、考える。「紙があって、よかった」。

「石井好子さんお別れの会」  8月27日(金)
2010/08/27
〔写真:左=勲章も飾られた祭壇 中=日比谷公園バラ園に咲く「ジルベール・ベコー」クースアップ 右=同全景 ♪写真をクリックすると拡大されます〕


 昨日8月26日(木)、帝国ホテル富士の間で「石井好子さんお別れの会」 が午前11時30分から開催された。

 開催時刻に間に合うように行くつもりだったけれど、仕事の都合もあって会場に駆けつけたのは午後1時を過ぎてしまった。
 もっと前に着いていれば、シャンソン歌手や関係者のみなさんと歓談することもできたはずだと思うと後悔の念が湧く。

 滑り込みセーフ。人の気配が薄れた会場内に入り、ボーイさんに導かれて祭壇前に進んだ。
 大きく引き伸ばされた石井好子さんの写真が目を惹く。にこやかに微笑んでいらっしゃるお顔を仰ぎ見て、少し妙な言い方かもしれないけれど、癒される思いがした。一礼して花を捧げ、合掌。再度頭を下げてからその場を離れた。

 照明を落とし、静まり返った場内に浮かび上がる祭壇。ボーイさんの許可を得て、写真を撮らせていただくことにした。冒頭に掲げたのがその写真だ。
 適度に華やかにしつらえられた祭壇の雰囲気が伝わるかと思う。

 外に出る。昨日も猛暑の陽射しがきつく、全身に突き刺さってくるようだった。
 ふと思いついた。「そうだ、日比谷公園へ行こう」。
 帝国ホテルの目と鼻の先にある日比谷公園のバラ園には、「ジルベール・ベコー」という名のついたバラがある。

 ついいましがた白菊を捧げたばかりだけれど、1本だけというのも何だか寂しい。それに遅参したお詫びの気持ちもこめて、27日の「ひとりごと」に祭壇の写真とともにそのバラの写真も添えよう。
 フランス人シャンソン歌手の名前を冠したバラなら、石井好子さんも喜んでくださるのではないだろうか。勝手にそう決め、横断歩道を渡った。

 この時期に咲いていなかったらどうしよう。おまけにこの狂ったような暑さだ。花が枯れてしまって、葉っぱだけになっているかもしれない。
 心配しながら近寄って行った。あった、あった。照りつける陽光にも負けず、何本か花をつけている。
 説明板を確認した。こう書いてある―

  「ジルベール・ベコー Gilbert Becaud 仏/メイアン作出 1980年
  やわらかなクリームがかったオレンジ色。花弁数35枚。花径13p程で、半剣弁咲きと  なる。やや横に広がります」。

 石井さんがベコーのシャンソンをお好きだったかどうか、直接に伺ったことはない。それでも、石井さんのご霊前にこの花を手向けたい、という僕の思いを押し留めることはできなかった。

 写真を撮り終えて日比谷公園を後にしながら、ひとつのメロディーがおのずと浮かんできた。ジルベール・ベコーのシャンソン、「バラはあこがれ」"L'important c'est la rose" のルフランだ。

  
  > 大切なのはバラ
  > 大切なのはバラ
  > 大切なもの
> それはバラなのさ
> 信じておくれ

  > L'important c'est la rose
  > L'important c'est la rose
  > L'important
  > C'est la rose
  > Crois-moi

  このルフラン、石井さんの耳に届いただろうか。

  石井好子さんのご冥福を心よりお祈り申し上げます。合掌。

目に見えぬ糸に引き寄せられて  8月25日(水)
2010/08/25
〔写真:左=ピアフが歌う以前に「異国の人」"L'Etranger" を創唱したアネット・ラジョンのCD 右=エディット・ピアフ自伝《Au bal de la chance》(Jeheber, 1958) ♪写真をクリックすると拡大されます〕


 まるで目に見えぬ糸に引き寄せられたかのように思える出会いがあるものだ。大袈裟に言えば運命ということになるんだろうか。
 人との出会いばかりではなく、動物や物ともそんな出会いを経験することがある。

 6月にパリへ行った折、機会を見つけてはシャンソン・フランセーズ関連の本を漁った。
新刊、古本取り混ぜてそこそこの収穫があったのは嬉しい。
 本にしても、CDにしても、目についた時になるべく買うようにしている。というのも、今日棚に並んでいるからといって、次回来た時にもそれらを入手できるという保証はないからだ。

 なかでも、エディット・ピアフ Edith Piaf が1958年に発表した自伝《Au bal de la chance》『チャンスの舞踏会にて』(Jeheber)の存在は知っていたけれど、実際に手にするのは初めてだった。

 クリニャンクールの蚤の市で見つけたその本、棚には1冊しか置いてなかった。ページは少し黄ばんでいる。
 所々、ページの片隅が不揃いに裂けているのは、元がアンカットだったからだろう。この本の持ち主がペーパーナイフでページを切りながら読み進めていったものと想像される。

 楽しいエピソードが多く語られている。すでに知られているものもあるけれど、この本を読んで詳しく知ることのできた秘話も数多い。
 シャンソンについての示唆に富んだ考察も見受けられ、さすがプロフェッショナルと納得させられる。

 たとえば、「シャンソンを歌うこと、それは世界で一番素晴らしい仕事」"Chanter des chanson, c'est le plus beau metier du monde." と書き出されている第6章。
 「シャンソンの世界で歌手として成功するには」と人に尋ねられる時に、こう答えることにしていたという。「仕事すること、仕事すること、そしてさらに仕事すること」。"Travailler, travailler, et encore travailler."(p.81)

 もっとも、フランス語の"travailler" という動詞には「勉強する」という意味もある。だから上記のフレーズは、「仕事を通して学ぶことを身につけるように」という戒めのようにも受けとめることもできる。

 ピアフが1935年にレコーディングした「異国の人」"L'Etranger" というシャンソンに関しても興味深いいきさつが告白されている。
 これは元々、アネット・ラジョン Annette Lajon(1901-84)が創唱した作品だった。

 このシャンソンをピアフは正当な手順を踏むことなく自分のものにしている。彼女が尊敬してやまなかったマリー・デュバ Marie Dubas()のレパートリー、「私の兵隊さん」"Mon legionnaire" の場合と同じだ。

 パリ、ポワソニエール通りにあった楽譜出版社モーリス・ドゥクリュック Maurice Decruck。ピアフは自分の歌うべきシャンソンを探しによくここへ通っていた。
 ある日、そこで「異国の人」を練習しているアネット・ラジョンと出会う。あまりに素晴らしい歌唱だったので、歌い終わったラジョンに繰り返し歌ってくれるように頼んだ。

 ラジョンが他のシャンソンの練習し終えて帰った後、ピアフは勇を鼓して社主のドゥクリュック氏に申し出た。「お願いです、『異国の人』を私にください」。ドゥクリュック氏はもちろん断った。

 当時、ある作品を創唱するということには重い意味があった。その作品を初めて歌い、生命を吹きこむという作業だからだ。
 そして、創唱者はある期間その作品を歌い続ける。その期間中、他の歌手が同じ曲を歌うことはあり得なかった。

 何度かアネット・ラジョンの歌うのを聴いていているうちに歌詞とメロディーを憶えてしまったピアフは、出演していた高級クラブ〈ジェルニーズ〉Gerny's でその日のうちにこのシャンソンを歌ったのだった。

 後日、アネット・ラジョン本人が来ているのを知らずに目の前でこれを歌う。終わってからラジョンの元へ挨拶に出向く。

私を悪くお思いでしょうね」と私は言った。
彼女 は微笑んだ。
  「いいえ全然。『異国の人』はとても美しいシャ
ンソンですし、私があなただったらあなたのよう
に歌ったかどうか分りませんから」。

  - Vous devez m'en vouloir, lui dis-je.
   Elle sourit.
   - Pas du tout! L'Etranger est si belle
chanson que je ne sais pas si, a
votre place, je n'aurais pas fait comme
vous. (ibid. pp.39-40)


アネット・ラジョンについて、それまで僕は大した知識を持ちあわせてはいなかった。 事典《La chanson francaise et la francophone》(Larousse, 1999)を引いても、彼女の項目はたったの10行しか記述がない。

 おまけに音源も手元になかった。ピアフのものは持っているけれど、アネット・ラジョンはどんな歌い方をしているのか気になっていた。いずれまたパリに行ってどこかで探してみようか、なんて思った。

 先週火曜日、高田馬場〈ディスコ・オリゾンテ〉の大安売りセールに足を運んでみた。何とアネット・ラジョンのCDがあるじゃないか。迷いもためらいもなく買い込んだ。
 さっそく聴いた。ピアフとはまったく異なる、気品ある唱法。といってお高く止まっている、というのではない。庶民性に磨きをかけたらこうなる、といった趣の声の出し方だ。 ピアフのあけすけな歌い方にも人を惹きつける力もいいけれど、こちらも捨て難い。

 12月13日(月)、千代田区立内幸町ホールで『バラ色と黒の人生 仲マサココンサート』が開催される。第1部のゲストに元文化庁長官、植木浩さんをお迎えして、僕も入って鼎談をすることになっている。
 上述の話を入れるかどうかまだ決まっていないけれど、パリで手に入れたピアフのこの自伝は利用価値がありそうだ。

 と、ホリプロファクトリー部のNさんから連絡があった。ピアニストの岩間南平さんからの紹介だそうだ。〔南平さん、ありがとうございます。〕
 来年1月20日(木)〜2月13日(日)まで天王洲・銀河劇場で、同18日(金)〜20日(日)まで大阪・梅田芸術劇場シアター・ドラマシティで『音楽劇 ピアフ』が上演されるという。
 藤井清美さんが脚本を書いておられる。Nさんからの依頼を受けて、資料を少しずつ提供し始めたところ。

 ピアフの自伝をはじめとして手持ち資料の数々が、いろいろな人たちの役に立つのを見るのは嬉しい。
 目に見えぬ糸に引き寄せられて、僕のなかでいくつかの点がこうしてつながってゆく。長年シャンソンひと筋でやってきたことが報われるような思いがしている。

奇妙な夢を見た  8月20日(金)
2010/08/20
明け方に見たのは奇妙な夢だった…。
 どういうわけか、細かい部分までは憶えていないのはいつものとおり。世のなかには事細かに自分の見た夢の一部始終を記憶していて、夢日記なるものをつけている人もいると聞く。

 子供の頃によく見た夢があって、いまでも夢のなかで自分のいた場所、登場人物の顔や名前まで言うことができる。
 ところが年齢を重ねるにしたがって、目が覚めたとたんに細部をさっさと忘れてしまうようになってきた。

 それでも、全体のおおまかなストーリーは頭のなかに残っている。しかし、夢のなかで出会った人たちとはまったく面識はない。それなのになぜ出てきたんだろうか。
 まぁ、夢のストーリーなんて辻褄が合ってるんだか、合ってないんだかよく分らないケースが多いからそんなに深く考えなくてもいいのかもしれないけれども。

 不思議だから書いておこう。こんな夢だった。

 舞台はどこかの教室。僕以外にも学生らしき連中がいる。教壇に立っているのは、なぜか男優の陣内孝則に似た教師。教室内は静まり返っている。その教師の指示にしたがって僕たちは何かを書くために机に向かっているからだ。

 やがて生徒たちは、何事かを書きつけた紙をなぜかその教師にではなく、階下にある職員室にいる他の教師に提出しに行く。僕もその教室を出た。
 その帰り、おそらくいたずら心からだろう、僕は教室に戻らずに外へ出る。が、ほどなく見つかって元の教室につれ戻されてしまう。

 僕を待ち受けていた、陣内孝則似の教師が烈火のごとく叱りつけてくる。
 そしてなぜか、僕は下着のシャツを脱がされる。容易に逃げ出せないように僕の自由を奪っておこうというつもりなんだろうか。仕方ない、その姿で僕はしばらく教室に留まった。

 そしてまた、さっきと同じように僕たちは何事かを紙に書かされる。どうやら今度は卒業に関わる小論文みたいな文章のようだ。
 書き終えて、また階下の教師の元へ提出しに部屋を出る。僕は上半身裸でいるのが恥ずかしくて、教師にシャツを着る許可を願い出る。

 それが認められ、晴れてシャツを身に着け、階段を降りて行く。無事に提出して教室に戻る。と、教師が何かに夢中になっている。どうやら彼自身も何か文章を書いているようだ。しめたとばかり、僕は教師の目を盗んで教室を後にする。またもや逃げ出すつもりだった。

 足音を立てないように廊下を歩いていると、例の教師がみずから書いた文章を読み上げる声がどこからか聞こえてくる。
 「なんだ、人に読み聞かせるほどの文章じゃないな」などと、生意気にも考えながら僕はひたすら学校から出ようとする。

 校門が目の前だ。幸いに誰も追いかけて来ない。一足飛びに外へ出る。あたりはもう薄暗い。
 と、学校の前にある線路を電車が勢い良く通り過ぎて行った。でも、終電までにはまだかなり時間がある。近くの駅まで歩いて行けば電車に乗れる。駅まではそんなに距離はない。やれやれ、やっと自由になれた…。

 そこで目が覚めた。いったい、この夢は何を示しているのだろうか。例によって不可解な思いにとらわれる。
 夢のなかには、怖い表情をした教師のいる教室から逃げ出すことだけを願う僕がいた。

 自分の好きな仕事をしているというのに、いったいなぜ、どんなことから逃げようとしているのか。枕から頭を上げないまま、ぼんやりと考えてみたけれどまるで分らない。
 第一、いまさらなぜ学校や教室、教師が僕の前に立ちはだかるんだろう?

 ひとつ思い当たることがある。
 先頃リリースされたクリストフ・マエ Christophe Mae のアルバム『ぼくの生きる道〜オン・トラス・ラ・ルート〜』(オーマガトキ OMCX-1247)だ。あの作品の歌詞対訳をした時、いま置かれた状況からの脱け出したいという願いを描いた曲があったっけ。

 「好きに生きたい」"Je me lache" と題する曲。歌詞の一部を引用してみよう。


  > だから 俺にだって放り出したい日々がある
  > すべてをうっちゃって 厄介払いする
  > そうさ 解き放ってほしいんだ
  > 気の向くままに歩く必要があるんだ
 
  > Donc y a des jours ou je me lache
  > Et j'envoie tout foutre en l'air
  > Ouais je veux que l'on me lache
  > J'ai besoin de prendre l'air


 この言い回しが記憶に留まっていて、夢のなかで形を取ったと考えることもできそうだ。

 「夢は第二の人生だ」"Le Reve est une seconde vie." と書いたのは、ジェラール・ド・ネルヴァル Gerard de Nerval だった。
 僕が見た夢に、もうひとつの僕の人生が潜んでいるのかもしれない。それを思いめぐらすことが猛暑しのぎになるかどうかは、保証の限りではないけれども。

言うのも愚かだけれども、暑い  8月18日(水)
2010/08/18
暦の上では秋とはいえ、猛暑が続いている。
 今日締め切りの対訳の仕事があったので、午後までかかって仕上げた。それで集中力を使ったことや、この暑さにへばっていることもあって「ひとりごと」を書く元気も失せがち。

 定期購読しているメールマガジンがある。h-ounaka さんが発行しているもので、その名を「おやすみの前に きょうの歌・あしたの暦」という。発行者のサイトもあるので、興味のある向きはご覧ください。http://blog.livedoor.jp/gnight_tu/

 その8月10日号に面白い歌が載っていた。このうだるような暑さについやるべきことをサボりたくなる思いを許してくれそうな歌だ。
 金子義直さんという人のその作品を引用してみたい。

  >暑ければやすむがよろしイソップの寓話は寓話吾は吾なり

 ここで言及されている「イソップの寓話」とは、「アリとキリギリス」のことではないか、とメルマガ発行者のh-ounakaさんは解説をつけている。夏の間にも冬に備えて働くのは正しいし、必要なことだけれども、暑い時には無理することもあるまい、という風に解することができるだろう・

 ということで、今日の「ひとりごと」はこれにて失礼します。

前ページTOPページ次ページHOMEページ
- Topics Board -
Skin by Web Studio Ciel