Entreacte 〜幕 間 〜
2010/07/19
"Entreacte"(アントラクト)は、コンサートなどの幕間、休憩時間のこと。今日は連休最終日。休日とウィークデーの狭間だから、アントラクトをタイトルにしてみました。

7月14日(水)、「ヌーヴォー巴里祭」の本番前に撮ることができたイヴ・ディテイユ Yves Duteil の写真をご覧ください。

左=ステージ本番前にやる気満々 

中=イヴ・ディテイユのアルバム『フラジル』《(Fr)agile》(Edition de l'Evritoire 0940 3792142 5)
[曲目]
1. Si jetais ton chemin

2. Deux enfants du Tamil Nadu

3. Si jentrais dans ton coeur

4. Madame Sevilla

5. Ma terre humaine 1

6. Fragile

7. Elle ne dort

8. Sur le clavier du grand piano

9. Tu m'envoles

10.  Les amours fanees

11. Ou vis tu Pauline...?

12. La Note Bleue

13. Si j etais ton chemin - Version longue


右=サインをしながら、「“シュウヘイ”って、こう書くのかな?」
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イヴ・デュテイユとの再会  7月16日(木)
2010/07/18
〔写真:左=「ヌーヴォー巴里祭」リハーサル後、出演者一同で記念写真 中央にイヴ・デュテイユ 彼の右隣は主催者の千葉美月さん 右=イヴ・デュテイユのサイン 訳:修平と「サ・ガーズ」のすべての読者のみなさんへ 友情のすべてをこめて  ♪写真をクリックすると拡大されます〕


 7月14日(水)、渋谷のBunkamuraオーチャードホールで「ヌーヴォー巴里祭」が開催された。今年のフランスからのゲスト歌手はイヴ・デュテイユ Yves Duteil、鮫島有美子のお二人。

 10日(土)大阪国際交流センター大ホール、12日(月)アクロス福岡シンフォニーホール、13日(火)ホテルパシフィック東京 ブルーパシフィックとまわり、オーチャードホールへやって来た。
 プログラムに掲載される彼のシャンソンの歌詞対訳を仰せつかったので、招待券をいただいた。

 せっかくならイヴ・デュテイユに会って挨拶したい。そう思い立って、リハーサルの終わる頃を見計らってBunkamuraに出かけた。
 午後4時30分を過ぎ、リハーサルが終了。出演者のみなさんがステージ上に並んで、プロカメラマンによる記念写真撮影が行なわれた。
 その撮影会の間に、ちゃっかり割り込んで撮らせて貰ったのが上に掲げた写真。もちろん、総合プロデューサー・千葉美月さんの許可を得てのこと。

 楽屋に通じる廊下に案内された。イヴ・デュテイユはすでに数人の人たちに囲まれている。その人たちとの話が終わるのを待って、近づいて行った。
 1981年に日本でもリリースされた彼のアルバム『妖精たち』(東芝EMI EOS-91036)を取り出して見せた。

 そのLP(まだ30pLPの時代だった!)のジャケットに誰あろう、イヴ・デュテイユ本人のサインが書かれている。
 1982年4月15日、フランス外務省、フランス音楽輸出委員会、在日フランス大使館主催により、「フランス音楽祭 ヌーベル・シャンソン・フランセーズ」が三越ロイヤルシアターで行なわれた。
 その音楽祭に参加するため彼も来日した。その時に通訳を務めた機縁でサインを貰ったのだった。

 音楽祭の他の参加者には、「楽しみのために」"Pour le plaisir" のヒットを放ったエルベール・レオナール Herber Leonard や、ブロンドの元気娘エミリー・ボネ Emilie Bonnet、「枯葉によせて」"La chanson de Prevert" を歌ったクレール・ダスタ Claire D'Asta などもいた。

 「ヌーヴェル巴里祭」では、今年もピエール=ジル Pierre-Gilles が司会を務めていた。出演歌手の数が多いので、全体は3部構成となっている。〔出演者名・曲目については末尾をご参照ください。〕
 ステージに登場する人数が多いので、スムーズな流れを作るのが難しくなる。舞台監督の腕の見せどころだけれど苦労も多いだろうな、と余計なことをチラッと思った。僕も少なからず舞台裏に関わってきているものだから。

 出演歌手たちはそれぞれ、いわゆるスタンダードナンバーとはひと味異なる、個性に溢れた選曲をしていて意欲を感じさせた。
 なかでも、友部裕子が歌った「ある夜のメルヘン」"Le bon Dieu" は興味深かった。というのも、ジャック・ブレル Jacques Brel が1977年に発表した遺作アルバム『偉大なる魂の復活』(原題は単に《Brel》)に収録されたこの曲を取り上げた日本人歌手を知らないからだ。 神よりも人間を重視するブレルの信念をこめた歌詞を、友部は日本語とフランス語で交互に歌っていた。

 イヴ・デュテイユがステージに姿を現わしたのは、午後9時30分を過ぎていた。「夜の通行人に捧ぐ」"Hommage au passant d'un jour" から歌い始めた。優しさのこもった歌声がホール内に響く。
 しかし、いまのイヴ・デュテイユは単に夢見がちな青年ではない。今月24日に61歳になる彼のまなざしは、社会の現実にも向けられている。

 「タミル・ナドゥの二人の子供」"Deux enfants du Tamil Nadu"では、2004年12月26日に起きた自然災害に言及した。インド最南部、スリランカと国境を接するタミル・ナドゥ州を2004年12月26日に襲った津波。その被害を受けた子供たちへの心からなる共感が歌われる。

 1988年、「20世紀のヒットパレード」"Hit Parade du Siecle" で第1位に輝いた「子供を抱いて」"Prendre un enfant" では日本語も交えていた。いつ聴いても心が和むシャンソンだ。

 児童合唱団ひまわりキッズの少年少女が風船を手にステージに出てきて、イヴの左右に並んだ。一緒に歌ったのは、「子供の権利」"Tous les droits des enfants"。

僕はきみさ きみが泣く時には
だけど きみが歌ったり笑ったりする時も 僕はきみなんだ
きみには自分の人生の権利があるんだよ

Je suis toi quand tu pleures,
Mais je suis toi aussi quand tu chantes et tu ris...
Tu as droit a ta vie

 歌い終わって引き上げようとするひまわりキッズの子供たちに、イヴは言った。「プレゼントがあります」。そして日本語で歌い出したのは童謡「さっちゃん」。思いがけないサーヴィスだった。

 ピアニストのアンジェロ・ズュルゾロ Angero Zurzolo、ベーシストのジル・ビオトー Gilles Bioteau の二人も、イヴのいるステージ前面に出て来て歌ったのは「アヴォワールとエートル」"Avoir et etre"。
 「持つ」と「ある」を表わす動詞をネタに、こんなに面白く、また示唆に富んだシャンソンを創り出すとは! イヴの作詞家としての豊かな才能がほとばしり出た作品だ。

 もう少し聴きたいなぁ、と思う頃に終了。僕は2階席で観ていたのだが、イヴの出番の後半になると、帰路を急ぐ観客たちが次々に席を離れ、会場を後にする姿が目立った。
 出演者たちにとっても残念なことだ。何よりも、コンサートのすべてを味わうことができなかった観客自身にとっても惜しいと思う。今後の運営に工夫がほしいところだ。

 柔らかな心を保ったまま年齢を重ねてきたイヴ・ディテイユとの、懐かしくも新鮮な再会だった。

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〔「ヌーヴォー巴里祭 2010」7月14日出演者・曲目 出演順、敬称略〕

♯第1部
青木真由子「パリ・パナム」+岡田由美香「愛はあなたのように」+大槻えみ「バラ色の人生」+佐伯康子「航海日誌」+しぎ翠「今朝」+RIO「愛さずにはいられない」+山口陽子「脱がせて欲しいの」+江川康人「愛の運命」+石井慶子「日常の幸せ」「ひまわり」+友部裕子「若い郵便夫」「ある夜のメルヘン」

♯第2部
米田まり&ショーン星野「二人の天使」/米田まり「そして今は」+上月美智子「私は一人片隅で」+池田かず子「モン・メック・ア・モア」「なぜ私に愛を語らない」+伏見淑子「涙」「行かないでマニエル」+河田 黎「雪」+西原けい子「サンジャンの私の恋人」「私の神様」+渡辺歌子「赤いポスター」「じっとこうして」+島本弘子「子供の頃」「愛しかない時」

♯第3部
槇小奈帆「ジプシーの恋歌」「結婚行進曲」+鮫島有美子「離婚」「ジュ・スィ」「人生を歌う」+イヴ・デュテイユ

Un petit message pour le Quatorze juillet
2010/07/14
今日は7月14日、革命記念日。フランスの国家的祝日ですね。短いメッセージだけに留めておきます。

  Vive la France!
Vive la chanson francaise!

山男たちの同窓会  7月12日(月)
2010/07/12
7月3日(土)、立教高校山岳部の同窓会があった。同級生のI君から誘いがあったので懐かしさが募り、初めて参加した。
 場所は大学のある池袋。東明大飯店。僕たちの高校時代は、埼玉県新座市野火止にしか校舎がなかったけれど、いまは同じ敷地にも高校がある。

 午後6時に会場へ。すでに大勢が集まっている。まずは僕たちの現役時代、山岳部の部長を務めていらした大貫金吾先生にご挨拶。同じテーブルに着いていらしたOBの方々にも言葉をかけた。

 I君の傍らに席を占める。まわりは下級生がほとんど。山岳部員とはいっても、高校2年生の夏合宿の後に退部して以来、部室に顔を出したことがない。というわけで、下の代のみなさんとは面識がない。まぁ、中途で部を辞めた人間が先輩面して出入りするのも気がひけた、というのがほんとの気持ち。

 ビールでの乾杯に続いて、料理が次々に運ばれてくる。やがて飲み物を焼酎に替えた。
宴たけなわになった頃、各自がスピーチをすることになった。
 僕は1年生の冬合宿でのエピソードを話した。雪上訓練と山岳スキーの技術を習得するのが目的で、乗鞍岳の手前のある霊泉小屋にテントを張った合宿だった。

 大学生のOB、Y先輩が用事のため先に帰ることになっていた。朝食後、全員で見送るために列を作った。スキーを履いたY先輩が「じゃな」と言って、右手を振りながら下って行かれた。僕たちは声を揃えて「失礼しまぁ〜す!」。

 と、数十メートル進まないうちにY先輩が転倒された。素早く起き上がられたY先輩、雪を払って立ち、また右手を挙げてこちらを振り向く。僕たちももう一度「失礼しまぁ〜す!」。
 
 また数十メートル先で転ぶY先輩。同じ動作が繰り返される。僕たちも大声を張り上げる。僕たちは吹き出しそうになっていたけれど、OBの方に失礼な態度を取るわけにはいかない。一同笑いをこらえた。何度か転倒を繰り返しながらY先輩の姿は小さくなり、やがて見えなくなった。同時に僕たちは堰を切ったように声を立てて笑った。

 スピーチの際にも言ったけれど、このエピソードはY先輩の名誉を傷つけたり、バカにしようとして披露したのではない。
 冬山での厳しい訓練の日々の合間に、おっかない印象のOBの、何とも人間的な側面を垣間見ることができたのが楽しかったのだ。

 僕もまた、妙なエピソードの持ち主である。
 2年生の夏合宿は確か、宇奈月経由で欅平から仙人池、池ノ平、源次郎尾根を経る劔岳縦走コースを採った。

 仙人池、いや池ノ平でテントを張ったのだったろうか。早々と夕食を済ませ、くつろいだ時間を楽しんでいた。
 夏とはいえ標高2000メートル、点在する小さな池のまわりには雪が残っている。大貫先生がいきなりパンツ一丁ですいすいと泳ぎ始められた。池のなかから「誰か来いよ」と呼びかけられる。

 僕はその時、ウールの海水パンツを履いていた。雨露に当たる山のなかでは、濡れると冷たくなる木綿よりウールの方がいいと聞いたことがあったからだ。誰かが「こいつ海パン履いてますよ」と大貫先生に告げた。
 次の瞬間、身ぐるみ剥がされ池の縁へと追いやられる僕。仕方ない、と覚悟を決めて恐る恐る水に足を入れた。

 最初こそ水の冷たさが肌を刺したけれど、後は無我夢中対岸に泳ぎ渡るのが精一杯ほんの2、3分間だったけれど長く感じた。
 誰かが撮ったその時の証拠写真も受け取ったのだけれど、いまはどこへ行ったやら。

 岸に着く手前で、普段からひょうきんな所のあるOBのK先輩がこう言われた。「人間ってなかなか死なないもんだなぁ」。
 冗談じゃない、こっちは必死で泳いでるのに…。

 水から上がると否応なく吹きつける風。寒さが身にしみた。そりゃそうだ、いままで浸かっていた水温は限りなく0度に近いはずだもの。
 が、その後は極楽だった。「よくやった」というわけで、テントのなかの上座にデンと座らせて貰うことができた。

 この夏合宿の後、僕は退部を決意する。とはいえ、別に標高2000メートルで泳がされたことで嫌気がさしたわけではない。ジャズに興味を持ち、のめり込んでいたのだった。
 この時に僕を慰留してくださったM先輩もこの日の参加者だった。

 同窓会は和やかな雰囲気のうちにお開きとなった。
 二次会には同窓会場にほど近い<マダムシルク>へ、僕が希望者をご案内した。山では先頭をチーフリーダーが務めるけれど、平地なら僕でも用が足りる。

 例のK先輩やM先輩も引き連れて店に入ると、さっちゃんママが親切に拙著『哀愁と歓びのシャンソンの名曲20選』(中経出版)に添付されたCDをかけてくれる。また、その本も出してくれたので、諸先輩方に回覧していただくことができた。

 「山男の歌」の一節にこういう歌詞がある。「山男同士の心意気はよ 山で鍛えてよ 共に学ぶよ」。僕たちもまた、何がしかの事柄を諸先輩方に鍛えられながら身につけたのだとつくづく感じる。
 山男たちの同窓会で楽しく更けていった夜だった。

「ラ・フェット・ド・ラ・ミュジーク」の残響  7月2日(金)
2010/07/02
〔写真:6月18日〜21日まで開催されていた「フェスティヴァル・ジャズ-ミュゼット・デ・ピュス」のチラシ ♪写真をクリックすると拡大されます〕

 パリ国際大学都市 日本館大サロンで6月21日に行なった、悠路さん、佐川由希子さん、う〜のさん、新沼久江さんによるシャンソンコンサートの余熱がまだ心と身体を覆っている。楽しい経験だった。

 よく、「昔ながらのシャンソンなんてもうパリにはないよ」なんてうそぶく人がいる。 でも、そうじゃないことをしっかりこの目で見たし、耳でも聴いた。情報は何でもそうだけれど、できる限り"de visu"(デ・ヴィズュ:自分の目で見て)確かめるに越したことはない。

 6月21日が「ラ・フェット・ド・ラ・ミュジーク」"La fete de la musique" (直訳すれば、“音楽祭”)の本番。パリの街中に音楽が溢れる。
 とはいっても、今年のこの日は月曜日。働く人も多いから、実際に街に音楽が流れるのは夕方、アペリティフの時間あたりからということになるのは道理。

 この季節、夕刻になってもパリの空はなかなか暗くならない。日本館でのコンサートを終えてタクシーでモンマルトルに向かう頃、ようやく薄暗くなり、通りに出た人たちがそれぞれのサウンドを奏で始めていた。
 広場などで様々なジャンルの音楽が朝の2時、3時頃まで演奏され、街が熱気に包まれるという。

 地下鉄駅の壁にも大きく貼られていたのが、「フェスティヴァル・ジャズ-ミュゼット・デ・ピュス」"Festival jazz-musette des puces" のポスター。上に掲げたチラシとほぼ同じもの。
 パリの北、クリニャンクールからサン=トゥーアン地区一帯で繰り広げられる大きな音楽イヴェントだ。

 モラーヌ Maurane、ディディエ・ロックウッド&ジャズ・エンジェルズ Didier Lockwood & Jazz Angels、ドラド・シュミット ホノ・ヴィンテルシュタイン Dorado Shmitt Hono WInterstein、マルセル・アゾラ Marcel Azzola といった有名アーティストたちがステージに立つ。若手のコンクールもある。
 バーやレストラン、路上も臨時のステージとなる。案内を見ているだけで興奮してくる。

 ジャンゴ・ラインハルト Django Reinhardt の流れを汲むマヌーシュ・スウィングのミュージシャンたちも登場する。かつて日本でのレコーディング時に僕が通訳を務めたチャヴォロ・シュミット Tchavolo Schmitt もニニーヌ・ガルシア Ninine Garcia と共演する、とチラシに出ている。挨拶しに行きたい気持ちにも駆られた。僕を覚えていてくれるだろうか。

 このイヴェントとは関係ないけれど、もうひとつ気になる公演があった。
 <テアトル・デ・ヌーヴォーテ>Theatre des Nouveaute では、「バルバラ “20年間の愛”」"Barbara《20 ans d' amour》" 。
 バルバラのアコーディオニスト、ロラン・ロマネリ Roland Romanelle の伴奏で、女性歌手レベッカ Rebecca が歌う、とパリスコープ誌に出ていた。評判が良いらしく、6月末まで延長されるという。

 まぁ、欲を掻くものではない。今回のパリ訪問の目的はあくまでも、コンサートを通じて悠路さん、佐川由希子さん、う〜のさん、新沼久江さんがシャンソンに寄せる熱い情熱を伝えることにあるのだから。

 そして、その目的を果たすことができたと考えている。決して自画自賛ではなく。それにしても、「パリの音楽祭に参加する」という強い意志を実現した女性歌手たちの行動力には頭が下がる。お誘いいただいたことに感謝したい。

 今回の経験からら得られた昂揚感、これもまた、パリでの「ラ・フェット・ド・ラ・ミュジーク」の残響だ。

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