「モモの考え」拾い読み  9月10日(金)
2010/09/10
 前回、モーリス・シュヴァリエ Maurice Chevalier の著書《Les pensees de Momo》『モモの考え』について少し触れた。
 今日はそのなかから、僕の目を惹いた言葉をいくつか拾い出してみよう。シュヴァリエ自身の言葉を引用した後に、僕の感想を〔*〕を添えて書いてみたい。


  毎日1ミリメートルだけでもより良くなろうとし
ている人を、何者も打ちのめすことはできないだ
ろう。

  Rien ne pおurrait abattre un homme qui
  s'ameliorait d'un milimetre chaque jour.
(p.38)

競争相手がしていることを気にかけることなく、
まっすぐに歩け。自分自身の改善に集中すること
だ。

Marche droit sans t'occuper de ce que fait le
concurrent. Concentre-ta propre amelioration.
(p.39)

  進め。自信を持つようにせよ。なすべき務めを持
たずに努力するな。ゆっくりと、だが速度を緩め
ずに歩 け。進め。

  Avance.Sois confiant.Ne te depense pas sans
obligation. Marche lentement
mais ne ralentis pas. Avance. (p.40)


〔*〕この3つは「成功」"Le succes" の章から抜き出した。ステージで観客の反応を直に受け止めながら自分の芸を磨いたシュヴァリエ。昨日より今日、今日より明日と向上をめざす心がけと努力が、人をより良い存在にするのだろう。

 続いて、「仕事」"Le metier" の章から。


  私は何がなんでも幻惑しようとしているのではな
い。納得させようとしているのだ。

Je ne tiens pas a eblouir mais a convaincre.
(p.70)

私は毎回、自分の芸術上の不注意を一新する。私の
コンプレックスに鞭打つようにして。

  Je renouvelle chaque fois mes imprudence
  artistique comme pour fouetter mes complexe.
   (p.71)

〔*〕観客を「納得させる」という語を、シュヴァリエはこの本のなかでよく使っている。芸の表面的な奇抜さや面白さだけで喝采を浴びるのではなく、心底から観客に理解されたいという思いがあるのだろう。
 シュヴァリエほどの一流エンターテイナーにもコンプレックスがあったとは驚きだ。それを克服しようとして、より良い歌い方や身のこなしを磨いていったと思われる。

 「観客」"Le public" の章にも興味深い記述がある。


  私は常に咽喉よりも心で歌ってきた。

  J'ai toujours chante plus avec le coeur
  qu'avec la gorge. (p.82)

  私はいつも観客を恋する男に、アーティストをその
  男がつき合っている何人かの愛人のひとりになぞら
  えてきた。

  J'ai toujours compare le public a un amant et
  l'artiste a une de ses maitresses. (p.88)

  アーティストはみずからのうちに観客を納得させる
  手段を見出さなければならない。
  研究や知性、コンセルヴァトワールといったものは
  それを教えることができない。

  Un artisete doit trouver en lui les moyens de
  convaincere. L'etude, l'intelligence, le
Conservatoire ne pouvent le lui enseigner.
(p.90)


  シャンソンは、叩きのめす拳の一撃より説得力のあ
  る愛撫であるべきだ。
  
  La chanson doit etre plus une caresse
  convainvcante qu'un coup de poing qui
  assome. (p.95)


〔*〕熱心なファンを除いて、観客はある意味で浮気者だ。より素敵な歌手や俳優にすぐ乗り換えてしまう。
 その観客の心をつかみ続けるためには相応の努力が必要となる。武器は「説得力のある愛撫」としてのシャンソンだろうなぁ。

 モーリス・シュヴァリエが長いキャリアのなかからつかみ取った貴重な意見の数々。読んでいて僕にも思い当たることが多々あるし、参考になる。少しでも前へと進んで行かなければ、とつくづく思う。

 次回は「バランス」"L'equilibre" の章から少し引用してみたい。ステージの上に限ったことではなく、生きていく上でヒントになる言葉がいくつもあるから。

モーリス・シュヴァリエの言葉にも耳を傾けてみよう  9月8日(水)
2010/09/08
〔写真:左=Maurice Chevalier 《Les pensees de Momo》(ed. Presse de la Cite, 1970) 右=同書見返しの遊び紙に記された、原著者モーリス・シュヴァリエのサイン  ♪写真をクリックすると拡大されます〕


 6月に訪れたパリ。クリニャンクールの蚤の市にあるリブレリ・ド・ラヴニュ アンリ・ヴェリエ Librairie de l'Avenue Henri Veyrierにへ初めて足を踏み入れた。    「600uの売場面積、1qにわたる棚、15万冊に及ぶ在庫」という触れ込みが嘘でないことをすぐに悟った。とにかく広い。そして、陳列された本の数の多いことと言ったら半端じゃない。

 シャンソン・フランセーズ関連の本が並ぶ棚から、この本も拾い上げた。
 庶民の街メニルモンタン出身で、ハリウッドでも活躍した歌手モーリス・シュヴァリエ Maurice Chevalier が著者。
 題して《Les pensees de Momo》『モモの考え』とか、『モモの思索』と訳すことができる。モモとはモーリス・シュヴァリエの愛称だ。

 全体は次の10章から成っている。
 "L'amour" 「愛」、"Le succes"「成功」、 "Les vices"「悪徳」、 "Le metier"「仕事」、 "Le public"「観客」、 "Les jeunes"「若者たち」、 "L'equilibre"「バランス」、 "Ecrire"「書くこと」、 "Les autres"「他者たち」、 "L'age"「年齢」。

 シュヴァリエの自伝は10冊くらいに分かれた《Ma route et mes chansons》『私の道とシャンソン』がよく知られている。
 僕が行ったリブレリ・ド・ラヴニュ・アンリ・ヴェリエにも、それを1巻にまとめたものが12ユーロで売られていた。でも、分厚くて(およそ5pほどか)重たい。帰りの飛行機に乗る際に重量オーヴァーを告げられてしまうかもしれないので買うのをやめた。

 別の棚に目を移すとこの『モモの考え』が目に入った。ページを開いてみたら、遊び紙にご本人のサインまである。彼のサインを見たことがないから、本物かどうかは判断がつかないけれども。
 1970年といえば、シュヴァリエが亡くなる2年前のこと。このサイン、本物だと信じたい。

 『モモの考え』には、先に挙げたテーマをめぐるアフォリズム(警句)が収められている。ひとつの道を極めた人物の言うことには、やはり傾聴に値するものがある。
 次回、そのなかから少し引用しながら、僕の感想も付け加えることにしたい。

"Simple et tendre"
2010/09/06
3日(金)、銀座おとな塾SANKEI GAKUENでの僕の講座「フランスでシャンソンを」では、シャルル・トレネの「ヴァカンスの小鳥」"L'oiseau des vacances" を採り上げた。

 まずはトレネの歌う原曲を3回続けて受講生の方たちにお聴きいただく。次いで1行ずつ原詞を読み上げ、僕が意味を説明してゆく。その後、僕の後について発音。最後にトレネの歌唱に合わせてみんなで声を出して歌う。
 これがいつものやり方だ。

 比較的憶えやすいメロディーだから、きっとみなさんにも抵抗がないだろう。そう考えた。また、受講生の方たちもそれぞれに夏休みの日々を過ごされただろうから、ヴァカンスの終わる寂しさを歌ったこのシャンソンをを受け止めてくださるのではないか。そんな風にも考えて選んでみた。

 予想どおり、受講生のみなさんは興味を示してくださった。
 夏の日はあっと言う間に去る。ヴァカンスで過ごした楽しい瞬間の数々は想い出へと変わってゆく。また来年、同じように楽しい時を共にできるかどうか、誰にも分らない。
 そんな気分が歌い込まれたシャンソンを、受講生の方たちは大きな声で歌ってくださった。

 授業後、Yさんからこんな感想をいただいた。
 「金子由香利さんや古賀力さんの歌で聴いたことはあります。でも、フランス語で歌ってみたかったので今日はとても嬉しかったです」。
 いえいえ、こちらこそ。こんな風に喜んでいただけるのが講師としては何より嬉しい。

 シャルル・トレネの話を続けたい。
 彼が1952年に歌った"Simple et tendre" (サンプル エ タンドル)というシャンソンがある。訳せば「シンプルで優しい」となる。歌い出しはこうだ。


  人生がもう微笑んでくれない時
  心が後悔で重くなっている時
  ひとつの歌があなたにこう言いに来る
  昔の秘密であなたをあやしながら

  Quand la vie ne veut plus sourire
  Quand le coeur est lourd de regrets
  Alors une chanson vient vous dire
  En vous bercant d'anciens secrets


 この歌詞の後、題名にある"Simple et tendre" が出てくる。


  シンプルで優しい
  僕たちはそれを聴くのが好き
  恋心のある古い歌を

  Simple et tendre
  On aime l'entendre
  La vieille chanson des coeurs amoureux

 全体を通じて、まさに「シンプルで優しい」メロディーと歌詞でできている作品に仕上がっている。

 いつも考えることがある。トレネのシャンソンの特徴はこれではないだろうか。持ってまわった言い方や、大袈裟な表現はトレネの好むところではない。あくまで簡潔な、日々の言葉の持つポエジーを大切にして歌詞を書いている。そして憶えやすいメロディー。それがトレネのシャンソンの魅力と言っていい。

 残念ながら、こうしたことは文章を通じてはなかなか伝えられない。しかし、銀座おとな塾のクラスでのように、実際にトレネの歌唱を聴き、一緒に歌うことでその魅力を心と身体で感じ取っていただければ納得がいくことだろう。
 ますます講座が貴重なものに思えてくる。

トレネはやっぱり素晴らしい  9月3日(金)
2010/09/03
前回にひき続き、シャルル・トレネについて少し書いてみよう。僕の個人的な感想かもしれないけれど、日本ではこの偉大なる天才シンガー・ソングライターへの評価があまり正当になされていないように思えてならないから。

 たとえば古賀力さんは、トレネのシャンソンに惚れ込んで、自分の経営する店に「ブン」"Boum" と名づけるほどのファンだ。
 古賀さんはトレネの原詞をより深く理解したい一心からアテネ・フランセに通われた。友人たちからは「トレネ・フランセじゃないか」と言われたそうだ。
 他にこうした例をあまり見かけないのはどうしてなんだろう。

 一昨日、この欄で挙げたクリスティアン・ルボンの本《Charles Trenet "Applez-moi a 11 heures precises!"》(ed. Didier Carpentier, 2008)『シャルル・トレネ “11時きっかりに電話してください”』(ディディエ・カルパンティエ刊、2008年)から、フランス人のトレネ観を紹介してみたい。

 118ページ以降に「他の人たちがトレねについて考えていること」"Ce que les autres pensent de Charles Trenet" という項がある。そこから引用させていただく。

  サルヴァトーレ・アダモ:「彼はあらゆる世代を連合させた」。「彼の書くものには、  澄みきった簡潔さを保ったままのエレガンスがある」。

  Salvatore Adamo : 《Il a federe toutes les generations.》
  《Il a de l'elegance dans l'ecriture, tout en restant d'une simplicite limpide.》

  シャルル・アズナヴール:「シャルルは彼の時代の、そしてあらゆる時代の人間だ」。
  
  Charles Aznavour : 《Charles est un homme de son temps et de tous les temps.  》

  ジャック・ブレル:「トレネがいなかったら、僕たちはみんな会計係だ!」

  Jacques Brel : 《Sans Trenet, nous sommes tous des comptables!》

  モーリス・シュヴァリエ:「…私は『喜びあり』で1936年に、37年だったかな、あな たに旅立ちのきっっかけを作ったことを幸せに、そしてちょっぴり誇らしく思います。それ以来、あなたが輝ける道を進んでいることを遠くから見ていますよ。(後略)

  Maurice Chevalier : 《... Je suis heureux et un peu fier de vous donner le depart avec "Y a d'la joie" en 1937...37? Je vous ai depuis egarde de loin suivre votre route enchantee.》
  〔*注:トレネが作詞・作曲した「喜びあり」を最初に歌ったのがシュヴァリエだった。また「輝ける道」はトレネ主演の映画のタイトル。〕

  ジャン・フェラ:「シャンソン・フランセーズの偉大なる革命家…」

  Jean Ferrat : 《Grand revolutionnaire de la chanson francaise...》

  ジョルジュ・ムスタキ:「彼は才能の彼方まで行く…」

  Georges Moustaki : 《Il va au-dela du talent...》

 以上、アーティストたちによるトレネ評を引いてみた。身びいきと断じてしまうのは行き過ぎだろう。間違いなく彼らはトレネの影響を受けて自分たちのキャリアを始めているのだから。
 アンリ・サルヴァドールの次の言葉も深い。

  アンリ・サルヴァドール:「(彼の死は)フランスにとってばかりでなく、世界全体にとっての喪失だ…。彼はあらゆる歌手たちの父だった…」。

  Henri Salvador : 《C'est une perte non seulement pour la France, mais pour le monde entier... Il etait le pere de tous les chanteurs...》

 これほどフランス本国で絶賛されているシャルル・トレネ。シャンソン・フランセーズの礎石として、日本でももっと評価されていいんじゃないだろうか。

 今日はこれから、銀座おとな塾SANKEI GAKUENで「フランス語でシャンソンを」の講座がある。
 トレネが1970年に発表した「ヴァカンスの小鳥」"L'oiseau des vacances" を受講生の方たちと歌うことにしよう。

シャルル・トレネのワイン  9月1日(水)
2010/09/01
[写真:Christian Lebon 《Charles Trenet "Applez-moi a 11 heures precises!"》
(ed. Didier Carpentier, 2008) クリスティアン・ルボン著『シャルル・トレネ “11時きっかりに電話してください”』♯シャルル・トレネに関する興味深い本 ♪写真をクリックすると拡大されます]


 多くの子供たちは今日から新学期が始まる。久しぶりに教室で会う顔と顔。きっと日お互いに焼けしていることだろう。

 僕はと言えばこの夏、海へも山へも行かなかった。仕事の都合もあったけれど、この猛暑のせいで外へ出る気分にもなれないというのも事実。

 幸いなことに、6月にパリで手に入れた本が何冊かある。わが身は東京の寓居にありながらも、それらを読むことで空想上のヴァカンスに出かけよう、と決めた。

 シャルル・トレネ Charles Trenet に関する本を2冊買った。
 1冊は上に写真を掲げた、クリスティアン・ルボン著『シャルル・トレネ “11時きっかりに電話してください”』。

 この著者は、「ラ・メール」"La mer" や「詩人の魂」"L'ame des poetes"、「喜びあり」"Y a d'la joie" などを書いて歌ったトレネに面差しが似ていることから親しくして貰っていたという。

 トレネに可愛がられ、行動を共にしていた人物ならではの観察による情報がたくさん盛り込まれている。
 これまであまり公にされてこなかったトレネの日常生活。彼の繊細さとかエキセントリックな性分までも知ることができて興味深い。

 その本によれば、トレネは夏になると生まれ故郷の南フランスで過ごしたそうだ。父方の家があるペルピニャンからナルボンヌの母方の家に至る“ツアー”を催すのが常だった。

 ツアーの途中にある、エクス=アン=プロヴァンスに持っていた家は"Domaine des esprits"と名づけられていた。訳せば、「精神の領域」とでもなろうか。
 もっとも、"esprit"“エスプリ”という語には「才気煥発」という意味もある。駄洒落などの言葉遊びの名手だったトレネだから、こちらの意味も込めているかもしれない。

 また、"Domaine"“ドメーヌ”はブドウ畑を指すこともある。そこで、ユーモアセンスたっぷりのトレネ、エクス=アン=プロヴァンス産のワインを作ってしまったという。この本によると、そこで生産されたワインのネーミングがまた凝っているのだ。

 《Rouge de Honte》 『恥の赤』
《Blanc de Rage》  『激怒の白』
《Rose de Pudeur》 『羞恥心のロゼ』(ibid. p.26)

 なるほど、エスプリが利いている。感情が顔に色として現われるのをとらえてワインの銘柄名にしているのだ。さすが、と言うほかない。

同じページには、さらにこんな記述もある。

 《JUS D'AIX》
Il s'agit
d'un nectar d'un hectar

『エクスのジュース』
 それは
 1ヘクタールのネクターのこと

 おそらくブドウ畑の面積が1ヘクタールなのだろう。そこから産み出されるネクター 、とシャレたわけだ。ネクターとはギリシア神話に出てくる、神々の飲み物。
 語呂合わせによって、1行のなかにアリテラシオン(alliteration  同一または類似の子音の繰り返し)を示してみせている。これまた、トレネらしい。

 機会があったら飲んでみたいものだけれど、いまも作られているのだろうか。


 あ、そういえばYasuから貰ったワイン、ヴォーヌ=ロマネ Vosnes-Romanee の2007年ものがあったっけ。
 今夜あたり、トレネの幻のワインを夢見ながらこの銘酒をグラスに注いでささやかなヴァカンス気分を味わうことにしようかな。

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