春告草を見かけた  1月22日(金)
2010/01/22

〔写真:散歩の途中、公園で見つけた“春告草”。〕


 昨年11月まで住んだ寓居の建物名には“梅”の字がついていた。そこから歩いて10分ほどの所に城趾があり、すぐ傍らに小さな梅林が広がっている。
 紅白の花のトンネルをくぐりながらそぞろろ歩くのは楽しかったものだ。人の背丈よりは高いとはいえ、鼻を近づければ香りを嗅ぐこともできた。

 アズナヴールの回想録《A voix basse》(『小声で』)を読み終えた。シャンソン・フランセーズの偉大なるアーティストが書き連ねた言葉の数々は、僕の心に深く刻まれた。本を閉じ、余韻に浸る。そのうちのいくつかを本欄に書き残しておこうと思う。しかし、少しばかり脳をクールダウンしてからの方がよさそうだ。

 そのうちに、上に述べた春浅い日の楽しみを思い出し、その梅林に行ってみたくなった。
 梅の花を眺めながら、僕のなかに蓄積されたアズナヴールの言葉のひとつひとつを反芻する。想像しただけでも心がうきうきしてきた。

 昨日の午後、幸い時間ができたのでデジタルカメラを携えて出かけた。
 目当ての城趾の麓にある公園が工事中だった。フェンスがぐるりと池のある公園の敷地を囲んでいる。

 城址へと向かう木の階段は残されているので梅林に向かうことはできる。でも、フェンスを見たら何となくその気が失せてしまった。「また出直すことにしよう」。
 せっかく歩きだしたのだから、足の向くまま、気の向くままに歩いてみよう。そう思い直した。

 今年は梅の花が例年より早く咲き始めた、という話をニュースか何かで聞いていた。これから歩く都立赤塚公園あたりにも、ひょっとしたら梅を見ることができるかもしれない。
 このあたり、広範囲にわたって自然を残そうというはっきりとした意図のもとに整備されているのがそぞろ歩き愛好家には嬉しい。

 高島平方面への道を左に見送る。しばらく首都高速5号線に沿って歩き、不動通りというのを右へ、東武東上線・東武練馬駅への道を選んだ。
 やがて右斜めに道が分岐する。前谷津川緑道と名づけられた小径に入る。前谷津川を暗渠化してできた道だ。

 行く手の頭上に、この道が川だったことの名残を示すように橋が架けられている。それをくぐり抜けると右手に公園があった。番地は徳丸5丁目。
 何気なく園内に入る。と、1本だけ花をつけた梅の木が目についた。まわりの木々はまだ冬枯れしているので、この木が一段と目立つ。

 他に先駆けて春の訪れを僕たちに知らせている。“春告草”とはよく言ったものだ。高い所に咲いているので、香りを愛でるわけにはいかない。それでも、枝いっぱいに花をつけたその様は見飽きることがない。

 20日(水)は大寒にもかかわわず、まるで裏腹の暖かい一日だった。
 昨日も日中は暖かだったけれど、夕闇迫る頃には風は肌に冷たく感じるようになった。そんな時、この梅の花を見て元気づけられた。

 ふと、『万葉集』巻第五に収められた次の歌を思い出した。

春さらば 逢はむと思(も)ひし 梅の花 今日の遊びに 相見つるかも
波流佐良婆 阿波武等母比之 烏梅能波奈 家布能阿素?爾 阿比美都流可母 

 読みの下に添えた万葉仮名による本文で、パソコンでは変換できない文字がある。「阿素?爾」と、疑問符になっている漢字。これ、偏(へん)は「田」で、旁(つくり)は「比」と書く。

 詠み人は、藥師高氏義通(くすりしかうじのよしみち)。
 「春になったら逢いたいと思っていた梅の花に今日の宴で会えました」という内容。

 写真は風に揺れる花をとらえきれていないけれど、まぁ、春を告げる花の勢いを感じていただければ幸いです。

 こちらは散歩の道すがら。ともに宴を張る相手もいないことゆえ、春告草を見かけた喜びを胸に、そそくさと梅の花咲く公園を後にしたのでありました。

聴きながら、読みながら…  1月20日(火)
2010/01/20
『歌う! シャンソン』編集長の富浦元公さんから電話を受けたのは、昨年暮のことだった。「シャルル・アズナヴールについて800字で紹介文を書いてほしい」という。
 アズナヴールほどキャリア豊かなアーティストをこれだけの文字数で書くのは至難の業だ。何とか削りに削ってまとめ、連休明けにメールで入稿を済ませた。

 ほっとひと息ついていると、再び富浦さんから電話。
 今度は「アズナヴールの写真はないか」との問合わせだった。2007年、アズナヴールを日本に招聘したカンバセーションから預かった写真が数点ある。しかし、それらは来日プロモーション用で、それ以外の目的には使えない。

 ふと思い出した。
 2006年11月、カンバセーションから2件の依頼を受けてパリに行った。
 ひとつは、TV朝日の番組「徹子の部屋」に出演するアズナヴールの通訳の仕事。もうひとつは、各種の雑誌に載せる記事の基になるインタヴューをすることだった。

 そうだ、インタヴューした時に僕が撮った写真があったっけ。
 インタヴュー当日の11月24日は、朝から雨降りだった。指定されたラウル・ブルトン社に行く。
 同社はシャルル・トレネ Charles Trent や エディット・ピアフ Edith Piaf など、数多くのシャンソン歌手たちの楽曲を管理する楽譜出版社だ。創立者のラウル・ブルトンが他界した後、未亡人が切り盛りしていたが、1992年にアズナヴールが買い取った会社だ。彼曰く「貴重な譜面が散逸しないように」。

 インタヴューを無事に終えて、記念に写真を撮らせて貰った。赤いセーターというカジュアルないで立ちのアズナヴールはにこやかに微笑んでくれた。
 その1点を富浦さんに提供することにした。みなさん、ぜひ次号の『歌う! シャンソン』をご覧願います。

 ただし、『歌う! シャンソン』誌にその写真を掲載するに当たって、使用料を申し受けるという条件をつけた。
 少しでも稼ぎたいからではない。『歌う! シャンソン』誌からいただく写真使用料をハイチの被災者のために寄付したいと強く望むからだ。

 前回の本欄に書いたように、アズナヴールは大地震の被害で苦しんでいるハイチの人々のために、多くのアーティストたちとレコーディングをした。アズナヴールを敬愛する者として、彼の顰に倣おうと思うのだ。
 わが寓居の電話からではドラえもん募金に寄付することができない。使用料が入ったら、日本赤十字社の口座に振込むつもりだ。


 アズナヴールのニュー・アルバム《Charles Aznavour & The Clayton-Hamilton Jazz Orchestra》(EMI 5099945859021)〕を聴きながら、彼の回想録《A voix basse》(ア・ヴォワ・バス:小声で)を読む日々が続いている。実に楽しい。

 回想録のページに綴られている文字と、スピーカーから流れてくる歌詞の言葉とが響き合うかのようだ。
 この本、文字が大きいのがまたいい。年を取って―いや、赤瀬川原平さんの表現を借りて「老人力がついてきて」としようかな―細かい文字は読み辛いから。

 CDに添付されたブックレットにも回想録の表紙写真が出ている。やはり、両方揃えた方が楽しみは数倍になる。
 あと10ページほどで読み終わる。85歳のアズナヴールだからこそ読む者の心を揺さぶる、素晴らしい言葉にいくつも出会う。
 次回はそうした言葉を拾い上げてみよう。

アズナヴールがハイチのために立ち上がった
2010/01/18
〔写真:TV局フランス2のサイトのスクリーンショット。ハイチ大地震被災者を救援するため、急遽フランス人アーティストたちがレコーディングした。ビデオでアズナヴールの姿も観ることができる。
http://info.france2.fr/seisme-haiti/Ha%C3%AFti-:-un-clip-de-mobilisation-avec-Aznavour-60317326.html


 12日に起きたハイチ大地震の被害はまだ広がっている。
 先週金曜日、およそ40名のフランス人アーティストたちがハイチの被災者救援のためにレコーディングした。

 この模様は、フランスのTV局・フランス2 France 2(http://www.france2.fr/)のニュース番組"13H"(「トレーズ・ウール」)16日土曜日 le 16 samedi 版で伝えられた。
 これを観るには、上記URLをクリック。画面右から"13H" をクリックする。

 また、手っ取り早くこのニュースのあらましとビデオクリップだけを観る場合には、同局の次のURLを訪れることもできる。
http://info.france2.fr/seisme-haiti/Ha%C3%AFti-:-un-clip-de-mobilisation-avec-Aznavour-60317326.html

 すると、冒頭に掲げたスクリーンショットの画面になるので、下方の"Video" 画面をクリックすれば、アズナヴールやグラン・コール・マラード Grand Corps Malade、ハイチに従兄弟がいるというオリジナル・アッシュ Original H などのアーティストたちの動画を観ることができる。

 彼らが歌う楽曲は、"Un geste pour Haiti Cherie"「いとしのハイチのための振舞い」。音楽はネグ’・マロン Neg'Marrons の未発表曲で、各アーティストがそれにみずから歌詞を書いたものだという。

 昨日は阪神淡路大震災15周年の日だった。東京にもいつ大地震が襲ってくるか分らない。地震の被害を他人事と思ってはなるまい。
 パンケーキ・クラッシュと呼ばれる家の崩壊に遭い、多くの犠牲者が出ているハイチの人々への連帯を表明するアーティストたちの真情を讃えたい。

 アズナヴールは1988年に同様の行為をしている。両親の故郷アルメニアが大地震に見舞われたので、基金を設立してアーティストたちを集めて「アルメニアお前のために」"Pour toi Armenie" を録音、その売上げを故国に寄付したのだった。

 みずからの得意とする仕事を通じて、速やかに被災者と連帯していこうとする姿勢。シャンソンの根底にもこうした精神が息づいていることを僕たちも忘れてはならないだろう。

 で、1回につき105円を寄付できる「ドラえもん基金」に電話をかけてみた。僅かな金額だけど、何もしないよりはましだ。ところが、ひかり電話からではかからない。何ということだろう。別の方法での寄付を考えなくちゃ。

ジャズとともに、アズナヴールが帰って来た  1月15日(金)
2010/01/15
〔写真:昨年11月にリリースされたアルバム《Charles Aznavour & The Clayton-Hamilton Jazz Orchestra》(EMI 5099945859021)〕


 85歳とは思えないほど声にパワーがある。そして、艶やかだ。高音もよく伸びる。歌手シャルル・アズナヴールは健在だ。

 ジョン・クレイトン John Clayton(ベーシスト、作編曲者、指揮者)、サックスプレイヤーのジェフ・クレイトン Jeff Clayton、ドラマーのジェフ・ハミルトン Jeff Hamilton を中心とするジャズ・オーケストラ。
 アメリカきってのビッグバンドとともに、アズナヴールがシャンソンをジャズ・フィーリングに乗せて帰って来た。

 帰って来た、と書いたのには理由がある。そもそも、歌手としてのキャリアの初めの頃、アズナヴールはジャズっぽい歌い方をしていたからだ。

 何はともあれ、ニュー・アルバムの曲目を記しておこう。

01.Fais-moi rever 夢見させておくれ
02.Je suis fier de nous (en duo avec Rachelle Ferrell)
  私たちの誇り(ラシェル・フェレルとのデュエット)
03.Comme ils disent 人々の言うように
04.Des amis des deux cotes 両極の友人
05.A ma fille 失われた心
06.Le jazz est revenu ジャズが戻って来た
07.I've Discovered That I Love You (en duo avec Rachelle Ferrell)
帰り来ぬ青春(ラシェル・フェレルとのデュエット)
08.Il faut savoir それがわかれば
09.The Jam ジャムセッションのために
10.Je ne l'oublirai jamais 追憶
11.La boheme ラ・ボエーム
12.De moins en moins だんだんに少なく
13.Voila que ca recommence そらまた始まる
14.The Times We've Known (en duo avec Dianne Reeves)
  二人の時(ダイアン・リーヴスとのデュエット)

 お馴染みの曲が多いけれど新鮮に感じるのは、ジョン・クレイトンのアレンジによるところが大きい。これまでと異なる仕方で歌うということは、まったく別物のシャンソンを歌うことと同じだということを示そうとしているかのようだ。

 ジャズ、R&Bの実力派女性シンガー、ラシェル・フェレルとのデュエットが2曲。「私たちのの誇り」(2)では、ラシェルがフランス語で歌う。
 幼い頃からピアノとヴァイオリンを弾いていたラシェルは6オクターヴの音域を持ち、歌い出したとたんにリスナーの耳を惹きつけてしまう。だからといって、ひとりだけで盛り上がっていくわけではない。アズナヴールのヴォーカルとの間合いを計りながらのデュエットは心地良い。

 「人々の言うように」(3)のイントロ。リズム・セクションが前面に出ていて緊張感を孕んでいる。これまでに聴いたことのないアレンジだ。次いでストリングスが打って変わって優しい演奏を繰り広げる。

 「それがわかれば」(8)のイントロも意外だ。ピアノ1本で始まり、アズナヴールが静かに歌い出す。前作『ふたりの奇跡』(EMIミュージック・ジャパン TOCP-70648/49)では、ジョニー・アリデイ Johnny Hallyday によるロックンロールのノリに負けじと声を張っていたアズナヴールだったけれど、ここでは落ち着きを見せている。

 「私は決して忘れない/過ぎていったものを/後悔はしない/たくさんの思い出が残ったのだから」"Je n'oublirai jamais/Ce que j'ai vu s'enfuir/Je n'ai pas de regrets/Car j'ai des souvenirs/En pagaille"
 若き日の無軌道ぶりをこう歌った後に続く曲が、「ラ・ボエーム」。
 これまた、画家としての成功を夢見ながらモンマルトルの屋根裏部屋でデッサンを繰り返す若い日々を思い返す内容だ。

 まったく別の曲に聞こえるのが、ダイアン・リーヴスとのデュエット「二人の時」。原題は"Les bons moments"(素晴らしい瞬間)だが、ここではハーバート・クレッツマー Herbert Kletzmer による英語歌詞で歌われている。ダイアンのヴォーカルも味わい深い。口先だけでない、はらわたを持って歌っているのが分る。

 アズナヴールのサイトを訪問することをお勧めしたい。
 URL⇒http://www.charlesaznavour-lesite.fr/

 下方にスクロールすると"Videos" というコーナーがある。本アルバムのレコーディング時の模様を動画で見ることができる。
 録音はキャピトルレコードのスタジオで行なわれた。フランク・シナトラ Frank Sinatra、ディーン・マーティン Dean Martin、ナット・キング・コール Nat KIng Coleといった歌手たちが歴史に残る歌を吹き込んだ場所だ。

 そうした歌手たちの写真がスタジオの廊下に飾られているのを見たアズナヴールは、カメラに向かって無邪気にこう言う。「いつか私の写真も飾られたりしてね。人は『おっ、フランス人もいる』なんて言うかな」。

 また、他のビデオではレコーディングの風景も映し出される。アレンジャーで指揮もするジョン・クレイトン、ピアニストのジャッキー・テラソン Jacky Terrasson との真剣なやり取り。いい音楽を創るために、誰もが自分の持っている最良の部分を出し合っているのが見て取れる。

 アズナヴールのサイトでは、CDとDVDが当たるキャンペーンも行なっている。
"Ggnez des CD et DVD de Charles Aznavour" と書かれている箇所をクリックすると画面が変わる。
 アズナヴールの家柄を問う質問がある。「アルメニア」「スイス」「ロシア」から該当するものを選んでチェックを入れ、必要事項を書き込んでクリックするだけ。
 今年の運だめしにいかが?

読み込み中  1月13日(水)
2010/01/13




〔写真:シャルル・アズナヴールの本《A voix basse》とニューアルバム《Charles Aznavour & The Clayton-Hamilton Jazz Orchestra》 ♪写真をクリックすると拡大されます〕


 先週金曜日、パリから僕が頼んだ本とCDを買って来てくれた友人のYasuに会った。
 楽しみにしていたシャルル・アズナヴールの回想録と新譜が手に入り、とても嬉しい。
で、その2点の写真を掲げてみた。

 本の出版社名が、ドン・キホーテ Don Quichote。
 ロシナンテに跨った、時代にそぐわない騎士ドン・キホーテにアズナヴールはみずからをなぞらえてこの社を選んだものだろうか。いやいや、これは邪推。

 さっそくアルバムを聴き、本を読み始めた。
 CDのアレンジはは全篇ジャズ。1998年にも『ジャズナヴール』《Jaznavour》というアルバムを発表していたっけ。今回もジャズアルバムとしての意欲的な姿勢が感じられる。

 アズナヴールファンとしては、読み始めたら面白くてやめられない。全226ページのうち135ページまで読んだ。他の事をせずに読み進めていたいところだけれど、そうもいかない。

 といわけで、本もCDもいま読み込み中。ちゃんと中身をつかんでから、本欄で紹介しようと考えている。

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